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笠岡城跡 登城日:(1999.05.03) 所在地: 笠岡市、古城山公園 |
歴史 |
◆伝承 標高約七十米。古くから内海の景勝地として知られる。もとは、海中の、一孤島とも、応神山と連続していたとも伝えられる。 別名、「海松が丘」、「吸江山」、「高松の城山」と言われた。 ◆笠岡城 弘治年間(1555〜1558)に能島村上水軍の一族、村上隆重が笠岡城を築城。その後、村上景広、毛利元康が在城。関ヶ原合戦後、徳川家康の所領となり、代官小堀新助が入城。 元和二年(1616)池田備中守長幸の居城。 元和五年(1619)松山城(高梁市)に移り、笠岡城は廃城となった。 明治四十年(1908)未新田埋め立てのため切り下げられ、城の遺構が消滅した。 昭和三十一年、笠岡市の都市公園となる。 『笠岡城跡案内板』より
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資料 |
私見 |
国道2号線の上に古城山公園があり、そこがかつての村上水軍の一族が拠る笠岡城でした。しかし案内板にあるように、遺構が消滅してしまったということでもう全然城らしくないです。ま、ここは軽く流して次へと向かいます。
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