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本太城跡


登城日:(2005.10.01)
所在地: 倉敷市児島塩生
 

【歴史】 | 【資料】 | 【私見】

歴史
頂上部にある主郭跡  本太城の築城時期は不明である。しかし文明年間(1469〜87)に源政繩・政吉兄弟が居城していたこと、永禄、元亀年間(1558〜73)に能勢修理が居城していたことは知られている。
 児島半島南部の国人四宮氏と備讃瀬戸水軍の香西氏の連合軍が本太城に攻撃をかけたが、能勢氏がこれらを撃退したという本太城合戦は有名である。能勢氏はその後岡山城の宇喜多氏に仕えるようになった。

『日本城郭大系13』新人物往来社刊参照

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資料
 

私見
主郭跡裏には堀跡も?  本太城へは国道430号を瀬戸大橋方面へ南下させていく途中を右折するのですが、うまく説明するのが難しいです(--;。また、登城口もわかりにくく、さらに駐車スペースも近くにないという攻めにくさがこの城の特徴です(違。
 民家の脇をあがっていきますと堀跡らしきものがあり、その先の頂上部に石碑が建てられています。ここが本太城の主郭であり、さらに先にある先端部には二の郭があります。地形はそこそこ残っている印象は受けましたが、主郭にあるという石垣はどれのことなのかはわかりませんでした。
 昼間来たわけですが、夜は眼下の工場地帯の明かりが幻想的で美しいかもしれません。
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