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沼城跡
登城日:(2000.01.09)
所在地: 岡山市沼
 

【歴史】 | 【資料】 | 【私見】

歴史  亀山城は、城の本丸、二の丸のあった弁天山の形が亀に似ているところから名付けられた。沼城ともいう。小学校の所在地に西の丸、楢部に出丸があり、これらを総称して亀山城と呼んだ。戦国時代中山備中守信正によって築城され、宇喜多直家が永録二年(1559)浦上宗景よりこの城を賜り新庄山城より移った。以来直家の壮年時代活躍の拠点となった城跡である。天正元年(1573)岡山城に移るまで十四年間在城した。慶長六年(1602)春、宇喜多氏にかわって岡山城主となった小早川秀秋によって廃城となり、亀山城の中心櫓(天主)は岡山城表書院の段の大納戸櫓に城門は秀秋の家老稲葉内匠頭本邸の表門に移築された。

『沼城跡案内板』より

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資料  

私見 地元の有志による秀家の石碑があります。  備前市から岡山市へ国道2号線を走り、砂川橋を越えてから、「浮田校口」の手前を右折します。そして浮田小学校の脇を通りすぎ、その先を右折すると小高い丘があり、弁天神社が祭られています。そこが沼城跡です。私はここに来るまで沼城が亀山城という別名をもっているのを知りませんでした。亀山城跡という案内板を通り過ぎて、沼城を探してましたから。(^^;
 弁天神社の急な石段を駆け上がると、平坦な頂上には地元の有志による宇喜多秀家を奉る碑が建立されています。たいして遺構は見つけにくいのですが、(やたらと案内板があって、「二の丸跡」とか矢印は薮の中を指してたりする。)、真剣に城跡を残そうとしている地元の姿勢が感じられました。
 しかし、この沼城ってこんな規模で防御能力はどうだったんでしょう?岡山城へ移築されるほどの立派な天主をもっていたとはとても信じられませんね。
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