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日隈城跡登城日:(2005.03.19) 所在地: 日田市大字庄手、亀山公園 |
歴史 |
亀山公園は、日田三丘(月隈、日隈、星隈)の1つであります。 清流三隈川に浮ぶ森で別名日隈山ともいい、1594年徳川秀吉の家臣宮木長次郎が郡令となって築いた日隈城跡でもあります。 日隈城は、文禄元年(1592)に豊臣秀吉が毛利高政を日田六万石で封じたが、同三年(1594)に宮木長次郎を玖珠・日田両郡の守代として命じ、その際に築城された。 翌年には毛利高政が日隈城代となってその父友重が居住した。慶長元年(1596)には修築し、五層六階の天守、三層の月見櫓、丹後丸櫓、二の丸門櫓、北の三の丸櫓、三本松大門などが建てられ、城は大規模な変貌を遂げた。 慶長五年(1600)の関ヶ原の合戦では、毛利氏が西軍についたので中津城主黒田氏が日隈城に攻めかかった。やがて再三の説得により、城は開城された。 翌年には、毛利高政は佐伯二万石に封じられたが、この日隈城もそのまま預かりとなり、守代が置かれた。 『日本城郭体系16』新人物往来社刊参照
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資料 |
私見 |
日隈城跡とされる亀山公園は小股川と三隅川とが内堀と化していて、一見島のように見えるかもしれません。標高112メートル(比高30メートル)の丘陵上に現在は神社が建っていますがここに五層六階の天守があったとは本当なんでしょうか。遺構は本丸、二の丸、三の丸などの削平地と、大手門石垣(実は未確認です。)などがあります。
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