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大畑城跡登城日:(2012.05.04) 所在地: 中津市加来 |
歴史 |
大畑城は、源義経が平氏追討のために、緒方三郎惟栄に命じて築かせた五城のうちの1つであった。以後城主には代々加来氏が入ったが、豊後の大友氏には属さず、大内・毛利方であった。弘治三年(1557)大友義鎮は軍勢一万二千を率いて、宇佐・下毛の諸城を攻撃した際、大畑城の加来壱岐守成恒は降伏した。 その後大友氏が島津氏に圧され、勢いを失っていくのを見せると豊後の諸城は一斉に反旗を翻したが、大畑城の加来安芸守統直は、大友氏方の拠点としてたびたび反勢力を押し返した。 大友氏滅亡後、中津には黒田孝高が入り周辺諸城の攻略を行い、天正十六年大畑城を囲んだ。三日三晩の攻防の末、大畑城は落城。城主統直は落ち延びたが、その後討死となった。その子重基は、細川氏が中津に入った時に帰農し、その後継が現在にまで続いている。 『日本城郭体系』新人物往来社刊参照
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資料 |
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私見 |
大畑城があったとされる場所は、現在小さな神社が建っている小高い丘陵上だったようです。地元の方に聞くと「お城?中津城か?」という状態で少々難儀しましたが、ネットの情報でたどり着きました。遺構はよく分からない状態ですし、ここでそんなに激闘が何度も繰り返されてきたのかと思うとピンと来ません。それと、加来氏はなぜ機を見て有力な勢力に靡かなかったのでしょうね。もっとうまく立ち回れたと思うのですが・・・。
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