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石山本願寺跡 登城日:(2001.04.22) 所在地: 大阪市中央区大阪城1番 |
歴史 | ![]() 『天文日記』によると大坂坊舎は生玉八坊のひとつ法安寺の東側に建立されたといわれ、当時は小堂であったと考えられる。 その後細川氏をはじめとする諸勢力との権力闘争の中で大坂の重要性が増すとともに、天文元年(1532)に六角定頼と法華宗徒により山科本願寺が焼き打ちされるに及んで、本願寺教団の本拠である石山本願寺に発展した。 石山本願寺周辺は、山科と同様に広大な寺内町が造営された。この造営が現在の大阪の町並の原形となったと考えられる。 その後十一世顕如の時代に、信長との石山合戦に敗れ、石山本願寺を退去した本願寺教団は、鷺森、貝塚、天満を経て京都堀川に本拠を移転する。 ![]() このような状況のため、石山本願寺跡の正確な位置や伽藍跡についてはいまだ確認されていないが、現在の大阪城公園内にあたることは確実と考えられている。 『石山本願寺跡案内板』より
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資料 |
私見 | ![]()
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