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今井屋敷跡


登城日:(2006.05.16)
所在地: 堺市堺区中之町東1丁
 

【歴史】 | 【資料】 | 【私見】

歴史
今井屋敷跡の案内板と碑  今井宗薫は、堺の豪商で茶人の今井宗久の長男として生まれ、茶の湯を父に学び、豊臣秀吉の近侍となった。秀吉の死後は徳川家康の寵をうけ、関ヶ原の戦いで功をあげ、河内・和泉二国の代官となった。堺市五ヶ荘花田に屋敷があったが、大坂冬の陣に際して関東に通じる嫌疑を受け、家財を没収され、大坂城に監禁された。のち、逃れて城中の様子を家康に伝え、徳川軍に従った。現在地にあった宗薫の屋敷は、織田有楽斎から譲り受けたもので、当時の尺度で東西29間(約55メートル)・南北32間(約61メートル)と考えられている。

『今井屋敷跡案内板』より

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資料
 

私見
 「今井屋敷って商人の家でしょ?!」と言われそうかなぁと思いながら(汗)、アップしてみました。
 今井宗薫は茶人として有名ですが、実は徳川家に仕えてからは家康、秀忠、家光と三代の将軍に仕えて茶頭を務めています。またその功なのか千三百石を与えられ旗本として今井家がはじまることになった功労者なのです。
 相当大きな屋敷だったのでしょうけど、今は案内板と碑が建っているのみ。近くにある千利休屋敷跡とはかなりの差がありますね。
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