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上赤坂城跡 登城日:(2003.11.16) 所在地: 南河内郡千早赤阪村桐山 |
歴史 | ![]() 元弘三年(1333)、平野将監と楠木正季は、多勢の鎌倉幕府軍相手に奮戦しましたが、水路を絶たれ陥落しました。糞尿を敵にかけた奇策は「糞谷」という地名になって残っています。合戦の様子は『太平記』からもうかがえます。 ![]() ◆二の木戸 一の木戸から約50メートル。木戸とは城門の意味です。本丸に至るまでの道は「城阪」と呼ばれており、4つの木戸が設けられていたといわれています。東側には足谷川を挟んで二河原辺城、西側には一番のきり城跡・首切り場を望むことができます。 ![]() 一の木戸から約250メートル。この木戸を越えると二の丸(東の城)の曲輪が見えてきます。 これから先、「そろばん橋」、「四の木戸」を経て「茶碗原」に至ります。 『上赤坂城跡案内板』より
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資料 |
私見 | ![]() 二の丸が左手側に広がっています。何段にもの削平地に分かれているのは下草が残っている状態でもよくわかるようになっています。さらにそこから右方面へ進むと千畳敷と呼ばれる本丸跡があり、石碑が建てられています。ここから周囲に広がる支城、砦などと連携していたのでしょうね。麓の案内板には13箇所もの城跡が示されています。今度はこれらの城塞群の調査を行ったのちに再度またこの地を訪れたいと思います。
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