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上赤坂城跡
登城日:(2003.11.16)
所在地: 南河内郡千早赤阪村桐山
 

【歴史】 | 【資料】 | 【私見】

歴史
上赤坂城登城口  標高349.7m。比高150m。自然の険しい地形を利用した中世山城です。小根田城・桐山城・楠木本城とも呼ばれています。鎌倉時代後半から南北朝時代にかけて活躍した楠木正成(1294?〜1336)によって築城されたといわれています。
 元弘三年(1333)、平野将監と楠木正季は、多勢の鎌倉幕府軍相手に奮戦しましたが、水路を絶たれ陥落しました。糞尿を敵にかけた奇策は「糞谷」という地名になって残っています。合戦の様子は『太平記』からもうかがえます。
二の木戸です  城の遺構は、曲輪・堀切・竪堀・横堀で構成されています。とくに、大手前と搦手にある堀切群は堀を二重にしたおおがかりなもので、大手前の「そろばん橋」は特徴的です。遺構からみると戦国時代に改修されていますが、それ以前と考えられる遺構も残っています。この場所には「一の木戸」がありました。

◆二の木戸
 一の木戸から約50メートル。木戸とは城門の意味です。本丸に至るまでの道は「城阪」と呼ばれており、4つの木戸が設けられていたといわれています。東側には足谷川を挟んで二河原辺城、西側には一番のきり城跡・首切り場を望むことができます。 二の丸跡下です。 ◆三の木戸
 一の木戸から約250メートル。この木戸を越えると二の丸(東の城)の曲輪が見えてきます。
 これから先、「そろばん橋」、「四の木戸」を経て「茶碗原」に至ります。

『上赤坂城跡案内板』より

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資料
 

私見
本丸跡に建つ城址碑。  下赤坂城から資料館、楠公生誕地を経て上赤坂城へとやってきました。資料館でもらった地図で簡単にこれましたが、さすが国史跡とでも言いますか、車で来やすいよう10数台も置けそうな駐車場が完備されています。駐車場から本丸まで約20分の道ですが、その半分ほどが両脇を2メートルくらいの高さの土塁状が続く堀底道のような坂道をあがっていきます。城阪です。ひたすらあがっていきますが、そろばん橋あたりから佇まいを異にします。
 二の丸が左手側に広がっています。何段にもの削平地に分かれているのは下草が残っている状態でもよくわかるようになっています。さらにそこから右方面へ進むと千畳敷と呼ばれる本丸跡があり、石碑が建てられています。ここから周囲に広がる支城、砦などと連携していたのでしょうね。麓の案内板には13箇所もの城跡が示されています。今度はこれらの城塞群の調査を行ったのちに再度またこの地を訪れたいと思います。
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