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木津川口台場(千本松台場)跡登城日:(2012.03.20) 所在地: 大阪市住之江区柴谷1丁目 |
歴史 |
安政元年(1854)ディアナ号の大坂湾侵入をうけ、翌二年十月に勘定奉行である川路聖謨によって防備計画が作成された。幕府はこれに基づき、大坂城代土屋寅直に安治川・木津川両川口に台場建造を命じたが実行されなかった。同四年四月、幕府は松江藩に安治川口、高松藩に木津川口の防備を命じた。木津川口を担当した高松藩は、備頭以下360人その他船頭船手等を派遣したが、当初予定されていた台場建設はされなかったようである。その後高松藩の後を受けて木津川口を担当したのが高知藩であった。木津川口(千本松)台場は、元治元年(1864)五月頃に着工、翌年春に完成予定とされたが完成後の事は未詳である。
『幕末海防史の研究』名著出版刊参照
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資料 |
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私見 |
以前から木津川口台場の場所がどこにあるのかを探していました。最終的な決め手は古い地形図と現在の地図を見比べながら比定したのですが、現在は物流センターや工場などが建ち並んでおり、台場の跡形もありません。かつては木津川を挟んだ北岸側にも台場の計画があったようですが詳しいことはわかりません。ただ少なくとも実際に築造された千本松台場は南岸にありました。付近に沢山の松が植えられていたところから千本松台場と名づけられたのでしょうかねぇ。 とりあえず上から全体を見渡してみようと新木津川大橋を歩いて登ってみました。思っていた以上に高く、気持ちいいものですね。東京の品川台場で振動と排ガスの匂いに苦しみながらレインボーブリッジを歩いたことが思い出されます。それに比べてなんて健康的なんでしょう(笑)。なかなかお奨めです。
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