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小西行長屋敷跡登城日:(2006.05.16) 所在地: 堺市堺区宿屋町東1丁 |
歴史 |
堺の薬種商小西隆佐の子。秀吉に信任され、しばしば戦功をたて、天正十六年(1588)肥後国(熊本県)宇土24万石の領主となった。文禄・慶長の役(1592〜1598)では、加藤清正と並んで朝鮮侵略の先鋒となり、ピョンヤン(平壌)を陥れた。行長は熱心なキリスト教徒で、洗礼名ドム・オーギュスタン(アゴスチーニュ)。堺に孤児院や病院を建てるなど、社会事業に尽くした。後、慶長五年(1600)関ヶ原の戦いでは、石田三成方について敗れ、京都で斬首された。刑場においても、行長は主の名を唱え、手にキリストの小画像を捧げ持ち、刑についたといわれる。
『小西行長屋敷跡案内板』より
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資料 |
私見 |
堺市は多くの史跡が集まっているところです。台場を再訪したついでに近隣の史跡をいくつか立ち寄ってみたのですが、この小西行長屋敷跡もその一つです。屋敷跡といっても碑と案内板があるだけなのでどの辺りがそうだったのかはさっぱりイメージできません(笑)。 碑が建てられている場所は阪堺線が走る広い通りの脇にぽつんとした状態ですのでつい見落として行過ぎてしまいそうです。近くに堺奉行所跡がありますのでセットにどうぞ、と言いたいところですがこの碑も意外と分かりにくいです(^^;。
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