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楠葉台場跡


登城日:(2006.05.28)
所在地: 枚方市楠葉中之芝2丁目
 

【歴史】 | 【資料】 | 【私見】

歴史
楠葉台場跡と堀跡 楠葉台場の石碑と案内板  元治元年(1864)、徳川幕府は大坂湾から京都に侵入する外国船に備えて、淀川左岸のここ楠葉と右岸の高浜(島本町)に砲台(台場)を築き、翌年には楠葉関門を設けました。高浜砲台にはカノン砲4門が設置されていたので、楠葉砲台にも同様に設置されていたと考えられています。
 慶応四年(1868)の鳥羽・伏見の戦いで、高浜砲台を守っていた津藩藤堂家は、幕府軍の不利を見て官軍に内応し、小浜藩酒井家が守る楠葉砲台に砲撃を加えたので、淀川を挟んで両台場は交戦状態になりました。楠葉砲台は、伏見、淀から敗走した幕府軍で混乱を極め、砲弾が尽きたので砲を破壊して退去しました。
 久修園院の南西方に砲台跡の土塁が残っていましたが、明治末期の京阪電車の敷設に伴い土塁の土砂は運び去れてました。

『楠葉台場跡案内板』より

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資料
 

私見
楠葉台場の稜堡跡らしいです。  京阪電車「橋本」駅から南へ600メートルほど京阪の線路脇を歩いていくと、大きく段差のある田んぼに出ます。その先にある2度折れ曲がった細いあぜ道は自然の地形にしては不自然なほど鋭く曲がっています。ちょうどここがかつての楠葉台場だったところです。このあぜ道がある段差が台場の稜堡だったのではないかと言われています。またその下の田んぼは堀跡らしいですね。
 かなりかつての姿はなくなってしまっているでしょうが、現在でもこうした遺構があるのは驚きです。対岸に築かれた高浜台場も見たかったのですが、そちらはゴルフ場になってしまっているようですね。
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