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正覚寺城跡
登城日:(2001.01.28)
所在地: 大阪市平野区加美正覚寺、旭神社
 

【歴史】 | 【資料】 | 【私見】

歴史
正覚寺ならぬ、旭神社はなかなか風格があります。  応仁の乱後も畠山政長・義就の確執は続き、畿内の各地で戦乱が続いていた。義就の死後、将軍足利義稙を擁する畠山政長は正覚寺城に本拠をおき、河内の平定にのりだしたが、明応ニ年(1493)四月の正覚寺合戦において義就の子、豊丸の逆襲により政長は敗れ、同月二十五日に自刃した。(正覚寺合戦)。天正五年(1577)には織田信長が本願寺攻めのために本陣をおいた。旭神社が城跡である。

「日本城郭体系12」新人物往来社刊
「大坂の戦乱と城」松籟社刊参照

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資料
 

私見
神木のような木と一緒に囲われている城址碑  ここ正覚寺城跡も平野部に残っている平城跡としてはよくある神社の境内に残されています。が、この旭神社は城跡に相応しい風格を持っているように感じました。  境内中央部に置かれた「神木」らしき木と城跡の石碑が重々しい雰囲気を演出しています。さらに城攻めらしき人も来てましたし・・・。(笑)雨が降っているというのに。って私もでしたが(爆)  また、城跡よりすこし南におりた、東西に伸びる道路を八尾市側に向かって歩いていくと畠山政長の墓があるようです。
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