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唐津城

唐津城跡


登城日:(2007.10.13)
所在地: 唐津市東城内
 

【歴史】 | 【資料】 | 【私見】

歴史
昭和に築城された唐津城模擬天守 唐津城東側からの遠望  唐津城は慶長十三年(1608)に完成した平山城です。城を築いた寺沢志摩守広高は豊臣秀吉の側近で、築城には名護屋城の解体資材を用いたといわれています。
 城は本丸・二ノ丸・三ノ丸・外曲輪に分かれ、本丸には天守台、二ノ丸には藩主の住居と藩庁があり、三ノ丸にはほとんどの藩士が住み、外曲輪には町人が居住し町奉行所がおかれていました。
 城には寺沢氏以後は代々譜代の大久保・松平・土井・水野・小笠原の諸氏が入城しました。寺沢氏の十二万三千石ではじまり、廃藩前は六万石でした。明治十年から本丸跡は現在の舞鶴公園として一般に開放され、藩主の住居は高校敷地となっています。
 周囲約1キロ、面積4.3ヘクタール、海抜43メートルにそびえる現在の唐津城天守閣は天守台跡に慶長様式で、文化観光施設として昭和四十一年に完成したものです。天守閣は五層五階、地下一階で博物館、展望所等があり、展望所からは、松浦潟の全景が一望におさめられます。また唐津城は別名舞鶴城ともいわれ、観光唐津のシンボルとして皆様に親しまれています。

『唐津城跡案内板』より

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資料
 

私見
ライトアップされた唐津城 唐津城の石段をあがると・・  唐津城は昭和に築造された模擬天守が印象強いですが、唐津城付近を車で走らせていると結構広い城域に驚かされました。今や市街地となっている三ノ丸も広大な城域の一部です。また唐津城の本丸がある城山は、海の中から石垣が伸びているかのようにも見え、さながら海上の要塞のようですね。
 たまたまですが、唐津城が見える宿を取ったことから夜景、そして翌日の朝駆け、そして入城可能となった時間に再訪するという城攻めができました。エレベータが出来ていることは初めてしったのですが、たまたま私が訪れた時は半数くらいの人がエレベータを利用しているようでした。あの天守がある時点でもう気にする必要はないのかもしれませんけど、もうちょっとお城にあるんだということを意識した外観にはならなかったもんでしょうかねぇ。あのエレベータ(^^;。
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