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深谷城跡
登城日:(2002.12.23)
所在地: 深谷市、深谷城址公園
 

【歴史】 | 【資料】 | 【私見】

歴史 復興された石垣、塀が美しい深谷城址公園  深谷城は、唐沢川、福川などに囲まれた低湿地に築かれた平城である。
 室町時代中期の康正二年(1456)、深谷上杉房憲が、古河公方の侵攻に備えて、築城したと伝えられる。
 土塁や深い濠を巡らした城は、面積約20ヘクタール、その形から木瓜城とも呼ばれた。
 天正十八年(1590)、豊臣秀吉の関東攻めによって開城するまで、憲清、憲賢、憲盛、氏憲と、134年間にわたり、戦国時代の北武蔵における上杉方の支城であった。
 徳川家康の関東入国後は、徳川一族や譜代家臣の居城であったが、寛永11年(1634)、廃城となった。
 現在は、深谷上杉氏の祈願社であった富士浅間神社(智形神社)の社殿を巡る池と水路に、往時の姿をとどめるのみである。

『深谷城跡案内板』より

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資料  

私見 深い濠が特徴的だった深谷城  群馬遠征からの帰途につく途中、まだ時間に余裕があったので深谷駅で下車し、深谷城跡を目指すことにしてみました。
 城跡へは駅から市役所のある方向へ歩き、さらにそこから約10分程度で深谷城址公園に到着することができます。
 公園のまわりをぐるりと取り囲むようにしてつくられた、石垣とその上に建つ白壁と矢狭間のある塀がいかにも城郭風を演出しています。まったく予備知識がないまま訪れたというのもありましたが、予想以上の整備ぶり(といいますが城郭風ぶり)には来てみてよかったなと思わせてくれるものがあります。とはいっても案内板にあります、かつての縄張りとは全然異なる姿ではありますのですが・・・
 かつてはその深い濠が特徴的であった深谷城も現在は復興された石垣がやけに目立つ城址公園です。宅地化され整備された今となっては往時の低湿地を生かした状態で残していくのは無理というものでしょうね。
 ちょうどこの日は公園自体を工事中で、本丸には足を踏み入れることはかないませんでした。なんでも、「ユニバーサルデザイン」のコンセプトでリニューアルをするんだとか。非常に素晴らしいお考えで、大賛成です。またいつか完成後の姿を見に訪れたいなぁと思ったのでした。
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