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須賀城跡
登城日:(2003.01.25)
所在地: 行田市須賀
 

【歴史】 | 【資料】 | 【私見】

歴史 須賀小学校脇にある藪地  須賀城は十二世紀に須賀氏が当地に拠ったとされている。「吾妻鏡」によると、承久三年(1221)六月十八日条の宇治橋合戦(承久の乱)に須賀弥太郎の名が出てきている。暦仁元年(1238)二月十七日条の将軍の随兵の際にも須賀左衛門太郎が現れている。また南北朝時代には須賀左衛門尉・須賀壱岐守清秀らが足利氏の家臣となっている。
 永享十二年(1440)に関東公方足利持氏の外戚一色伊予守が利根川を越えて須賀城を攻撃し、一夜にて須賀土佐守入道の守る須賀城は落城した。また、大永二年(1522)以後には須賀城をめぐって古河公方と北条氏の間で合戦が繰り広げられた。

『日本城郭体系5』新人物往来社刊参照

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資料  

私見  行田市の最北端、須賀にある須賀小学校と長光寺との間の藪がかつての須賀城跡と言われています。背後に利根川の堤が高く壁をつくり、藪のある地は微高地になっています。
 それ以上のものはありませんでした。ここまで遠かったんですけどね、自転車じゃぁ・・(^^;
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