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蕨城跡
登城日:(2003.02.19)
所在地: 蕨市中央4丁目、城址公園
 

【歴史】 | 【資料】 | 【私見】

歴史 蕨城址碑  蕨城址は貞治年中(1366年頃)将軍足利氏の一族武蔵国司渋川義行が城を構えのちその一族が知行する。
 室町時代の末戦乱の続く関東平定のため長禄元年(1457年)将軍義政は近親で九州探題という重い家柄の渋川義鏡を関東探題として下向させた。義鏡は義行の蕨城に拠り関東諸将に将軍の令をつたえ鎌倉におもむき管領を授ける。
 その後義鏡の子息義堯、その子義基が居城する。
 徳川時代の始め家康は宿駅制度の拡充と参勤交代の制施行まで城址に御殿を置く。
 蕨城址は南北に帯状に連なる自然堤防の中央部を占め江戸上期の絵図面によれば幅六間半の堀と幅四間半の土塁をめぐらせ堀内一町二反三畝余坪これに接して南方に堀と土塁をめぐらせた二町一反八畝八坪の外輪地がある。北方に続き梯子形に堀と土塁の構えが見られ復元すれば同心円的複郭平地方形館城といわれる。いまわずかに堀跡と御所跡枡形、要害、館、堀内、矢防敷、のろし台、防止などの俗名を残すだけである。
 昭和三十六年十一月本丸跡に文学博士諸橋轍次撰書の蕨城址碑が全市民賛同により建てられ同四十九年市政十五周年記念事業として土塁の一部を復元し、城址公園と市民会館を建設する。

『蕨城跡案内板』より

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資料  

私見 蕨城址公園、土塁跡  JR蕨駅を降りて市役所方面にひたすらまっすぐ歩いていきます。商店街の中を歩いていくので退屈しないでしょう(笑)。約15分くらいでしょうか、城址公園通りと交わる地点を右折し、しばらくいくと左手に蕨城跡が、城址公園として保存されているところに到着します。
 城址公園といっても「えっ、これだけ?」と驚くほどこじんまりとしています。ただ、公園右脇に復元された土塁があるのと、公園内にすこしだけ水堀の跡が残されています。こっちはあらかじめ堀跡だったということを頭に入れてからいかないと、ただの整備された池としか見えないのがポイントですね(^^;
 あとは奥に巨大な城址碑がありますので、石碑ファンな方は安心です。
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