

玄蕃尾城は、天正十一年(1583)の賤ヶ岳の合戦の際、柴田勝家が本陣とした陣城です。ちょうど城域が滋賀県と福井県とにまたがっていますのでどちらの県のお城として書こうかと迷ってましたが、賤ヶ岳関連なので滋賀県の城として書くことにします。そう言えば以前に中井均さんのご講演の中で、この城の名称が福井県側と滋賀県側とで異なるということを聞きました。記憶があやふやですが、福井県側が玄蕃尾城で、滋賀県側が内中尾山城だったかな・・・。そもそも玄蕃の由来は柴田軍の佐久間玄蕃守から来ているそうなんですが、佐久間は別の場所に陣どっていましたので彼の名前がつくのはおかしいんですよねぇ。しかし呼び慣れてしまっているので、ここでも玄蕃尾城とすることにします。
賤ヶ岳の合戦では柴田軍、羽柴軍がそれぞれ戦のための臨時の城である陣城を築城して戦いました。その数は国内における合戦では最多だと言われています。私の地元の
三木の陣城が一番多いだろうと思っていましたが、名前が付いているものだけでもかるく越えていることがわかりました。この陣城をコンプリートするだけでも相当の時間がかかりそうです。
いざ玄蕃尾城を訪城しようとすると、かなり大変です。4駆の車だと山道をあがっていけますので、一番奥にある駐車スペースまで登っていくことができます。今回は地元の方に連れていっていただけましたので楽ができました。(なんかこのパターン増えてきました。ほんとありがたいことです。)そこから約15分ほどで城域に到着できます。
途中の尾根道は幅広の通路のようになっていますが、柴田軍が食糧の運搬や兵の移動のために整備したという軍道が残っているのかもしれません。
さて、玄蕃尾城に到着しました。案内板と縄張り図が置かれ、ざっと構造を理解することができます。が、そんなことよりも我先に駆けだしてしまいたい衝動に突き動かされてしまいました(笑)。今なお当時のまま残る土塁や横堀が縦横にかけめぐっており、どこを見ても圧倒されてただただ見とれてしまうばかりです。詳しく説明するのはやめて写真と縄張り図を見て雰囲気を感じ取っていただければと思いますが、ここはぜひ行ってみてください。特に「お城はやっぱ天守閣がないとダメだね」という方に見ていただきたい!(^^;。
ところで柴田方から見れば賤ヶ岳の合戦では早く南下していきたいということで構築された陣城は羽柴軍に比べて比較的簡単な構造のものばかりでした。しかしこの玄蕃尾城の構造は両軍のものを含めても一番複雑で高度な構造を誇っています。とても臨時で作ったというものではないことは遺構を見れば容易に感じ取ることができるでしょう。当然こういった見方は研究家の方もされているようで、戦いのために築城する前にあらかじめ作っていた(あるいは築城中)のだろうと見られています。当時の築城技術を集めた戦う芸術品がここにあります。現地はクマが出没しやすい場所でもあり、一人でふらっといくことは心配ですので、十分気をつけて訪れてください。なお、搦め手側には奥へと延々と延びる軍道が残っています。まさに戦の息吹が今なお色濃く残る玄蕃尾城を満喫してください。