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朽木陣屋跡登城日:(2005.05.03) 所在地: 高島市朽木野尻 |
歴史 |
安曇川本流と支流の北川が合流する野尻に朽木陣屋跡は所在する。この地は若狭や越前などと京都とを結ぶ朽木街道に面し、軍事的・政治的・経済的に重要な交通の要衝でもある。 朽木氏は佐々木氏の庶流で、承久の乱(1221)後、朽木庄の地頭職に補任されたことにはじまり、関ヶ原の戦い、大坂の陣で戦功のあった朽木元綱以来、準大名格で当地を領有し、明治維新をむかえた。 現在、陣屋跡を示す遺構は土塁跡、井戸跡と石垣、堀跡などであるが、当時は敷地内に御殿、侍所、剣術、道場、馬場、倉庫などが存在していたようである。昭和五十六、七年の発掘調査では上層から江戸時代の建物跡を、下層からは室町時代の遺物包含層をそれぞれ検出している。 これらの調査成果から、中世には朽木氏の館が設けられ、江戸時代に陣屋へと変遷をとげたと推定できる。 『朽木陣屋跡案内板』より
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資料 |
私見 |
朽木陣屋には大津方面から国道367号線をひたすら北上し、道の駅「くつき新本陣」をすぎて「山神橋」の三叉路を右側にそれていきます。橋を渡ってすぐに神社がありその先に郷土資料館への案内が出ますので左折し、資料館の駐車場に車を停めます。この日はあいにく閉館日だったのですが陣屋門が歓迎してくれているようです。 当時の遺構としては石垣、土塁、井戸、空堀などがありますが、かつての規模を知るためには資料館そばではなく駐車場に入るために走ってきた道路わき、少し先にある案内板が最適でしょう。当地に長くいた朽木氏については諸説あるようですが、岩神館−西山城−朽木城−朽木陣屋と場所、形を変えながら明治維新までここで永らえていたのです。GWですが、誰もいない陣屋跡はもはや役割を終えた遺物であるかのように思えて、物悲しくなってきました。
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