目賀田城跡 登城日:(2000.10.22) 所在地: 愛知郡秦荘町目加田 |
歴史 |
天正四年(1576)織田信長が安土城を築くに当りその当時の目賀田山(今の安土山)を要請されたのでその代りに、貞政の所領地である光明寺野(今の目賀田)に新たに目賀田城を構築したものです。 城主:目賀田家四十二代 目賀田摂津之守貞政(小次郎) 所領:愛知川、中宿、沓掛、佐生、七里等 禄高:二万石 四十三代 目賀田摂津之守堅政 四十四代 摂津之守堅政(次郎左衛門) 天正十年本能寺の変が起り、明智方にあった堅政は浪人の身となり、城は慶長二年廃墟となりました。 大字目加田は昔から目賀田氏と春日神社光明寺等深い関係にあります。 「目賀田城跡案内板」より
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資料 |
私見 |
目賀田城は、前日に城郭体系をめくっていると載っていたのでふらっと立ち寄ってみました。岩倉川が東西に流れているだけでまわりは平坦とした土地が広がる目加田にはかつて城であった形跡が見られませんでした。しかし、おそらくこの岩倉川を堀がわりに利用していたはずだという感だけでだいたいのあたりをつけて車で流していると、イメージとおりのところに城跡が見つかりました。ちょうど公民館の南側にありますので、公民館を目指せば迷うことなく来ることができるでしょう。 そこには城址碑と案内板があり、案内板によると目賀田城の縄張りまで掲載されていました。まわりには遺構らしきものは一切見当たらないのでとりあえず城址碑だけでも確認できたということで良しとし、この場を後にしました。
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