鯰江城跡 登城日:(2001.03.18) 所在地: 愛知郡愛東町鯰江 |
歴史 |
鯰江城は、鯰江氏、森氏によって、自然地形である「河岸段丘」を利用して築城された中世の城郭です。 旧鯰江城の豪族であった鯰江氏が、荘園時代に、興福寺領の被官となってこの地を治めていました。 戦国時代になり、佐々木六角氏の家臣として佐々木六角義弼を奉じて、織田信長の近江平定に対抗しましたが、天正元年(1573)に落城しました。 この時、空濠を増設し、遠見櫓を増築するなどの城の規模拡大をしたと考えられています。 落城後鯰江氏は、全国各地に分散し各大名に仕えたということです。 特に、鯰江定春は、秀吉に仕えて大阪に土地を与えられ、その地を「鯰江」と呼んだそうで、現在も大阪市城東区にその呼称が残っています。 『鯰江城跡案内板』より
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資料 |
私見 |
今でこそたいした遺構もなく、その規模を伺いしることはできませんが、この鯰江城最後の城主、鯰江満介貞景はなかなか肝の坐った武将です。主城である観音寺城の落城の永禄十一(1568)後に再度信長に一矢報わんとし、土塁を高く築き、堀を深く掘って対抗しています。 しかしそんな抵抗空しく信長は、佐久間・蒲生・丹羽・柴田の4将に命じ周辺に砦を築かせ攻撃し、天正元年(1573)九月、落城してしまいます。 そこまでするような城なのか?と思わせるほどの信長の圧倒的な力による攻撃ですね。周りを取り囲まれて一斉攻撃を受けている「信長の○望」の画面がふと頭に思い浮かんでしまいました(笑)。 そら勝ち目ないわ。
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