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佐和山城跡登城日:(2005.05.15) 所在地: 彦根市佐和山町、他 |
歴史 |
佐和山城が歴史に登場するのは古く、建久(1190〜99)年間である。長きにわたって砦として利用されることが多かったようだが、六角佐々木氏が領有した大永年間(1521〜28)には佐々木定綱の命により小川左右大輔が入城した。その後、湖北の京極氏にかわって浅井氏が台頭してくるようになると、その臣磯野伊予守員吉、その子員昌が入城し、元亀二年(1571)から天正十年(1582)にかけて織田信長軍と戦い、そしてついに開城することとなる。 本能寺の変後は、秀吉により多くの城主が入れ替わっていく。堀秀政、堀尾吉晴、石田三成などである。 関ヶ原の合戦後は、井伊直政が高崎から移封し、直政の死後彦根城の築城が始められ、彦根に移るとやがて佐和山城は廃城となっていった。 『日本城郭体系11』新人物往来社刊参照
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資料 |
私見 |
佐和山城の登城道はいくつかあるようです。大手道が一番惹かれたのですが、今回はお城好き仲間数人との登城ですので8号線脇の法華丸近くのハイキングコースを使いました。 怪しいお城風建物を後ろに見ながら登城道をあがっていきます。まだ下草があまりないので気楽な登城となりましたが夏はこのルートも草が背丈ほどに伸びるところがあるそうですね。 法華丸を過ぎ、堀切り(実は通路とも)の分岐点に出ます。右手が太鼓丸、左手が本丸へのルートです。迷わず右に進路をとった我々は太鼓丸で土塁が残っているのを確認し、その先にある巨大な切り通しに感動です。あまり覗き込むと落ちそうです。佐和山城の必見ポイントの一つですね。 そういえばこのお城は数箇所で石垣が見つかっています。途中、その一部かなと思わせてくれる大きな石がありました。 本丸下では千貫井戸があり、今でも水を湛えています。近年誰かが勝手に井戸を広げてしまったが、実はもっと小さなものだったとか。地元の方との登城は実に貴重な話が聞けて嬉しいですね。 その井戸から上を見上げたところに石垣が顔を出しています。夏場は見えにくくなっているかもしれません。この石垣も佐和山城の必見ポイントです!でも近くまで行くのはお奨めしません。かなり急斜面だということ、地面の下にも石垣が埋もれており、土が崩れればそれだけ史跡破壊に繋がっていくからです。佐和山城に行かれた方は十分配慮していただきたいと願っております。 さて、本丸にあがっていきます。ここからは彦根城がよく見下ろせます。絶好の場所にお城があるもんだなと再確認させられました。この日は時間の都合でここで帰ることにしましたが、次回は大手、二の丸など今回見送った遺構をきっちりと見て回りたいと思います。
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