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瀬田城跡
登城日:(1999.06.28)
所在地: 大津市瀬田2丁目、湖月庵
 

【歴史】 | 【資料】 | 【私見】

歴史 湖月庵横にある瀬田城址碑。  壬申の乱以来源平の戦いなどで重要な地点として瀬田川畔に戦国時代に瀬田城を築いたのは甲賀武士の流れをくむ佐々木氏家臣の山岡景房である。
 織田信長の命によって瀬田橋をかけた当時の城主山岡美作守景隆は本能寺で信長を討ち安土城に向う明智光秀と瀬田川で対戦したが力つき自ら城に火を放って甲賀へ引きあげそれ以来廃城となり今はわずかに石垣を残すばかりである。その後膳所藩の別亭となり禅僧天寧が庵をたて「臨江庵」と名づけた。

 臨湖庵の由来
◆瀬田城は永享元年(1429)勢多判官章則氏の手により築城されました。
 天正十年本能寺の変の際城主山岡景隆の手により火が放たれました。
 その後膳所藩の重臣、三松氏が出家しこの地に草庵を結び臨江庵と名付けたのが現在の臨湖庵の由来となった。

『瀬田城跡案内』より

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資料  

私見 すっかり日本庭園です。  本能寺の変後、自らの城を犠牲にして明智光秀の進路を鈍らせた山岡景隆は目立たないが、密かな功労者です。
 灰となった瀬田城が残っているとは思ってませんでしたが、まさか料亭になっているとは思いませんでした。(^^;
 密かに裏門(?)から入って写真を撮ってましたがほんと高そうなところです。これで景隆も浮かばれるのかな?
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