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東野山城

東野山城跡


登城日:(2008.11.29)
所在地: 伊香郡余呉町東野
 
【歴史】 | 【資料】 | 【私見】

歴史
北側からの喰い違い状の虎口 やや緩斜面となった郭 東野山は、別名実山(さねやま)とも称し、京極氏、浅井氏が湖北に君臨していた頃より、その配下にあった当地の豪族東野豊前守一族の居城があったところである。
 天正十一年(1583)の賤ヶ岳の合戦には、羽柴秀吉方の勇将で佐和山城主であった堀秀政がここに砦を築き、行市山に陣する柴田勝家方の佐久間盛政と対陣した。
 堀秀政は、ここを拠点として柴田勝家の大軍を食い止め、北国街道を一兵たりとも南下させず、秀吉大勝の因をつくった。
 現在残っているものは、豪族東野氏の構築したものでなく、賤ヶ岳合戦に堀秀政が構築したものと思われる。

『東野山城跡案内板』より

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資料
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私見
土塁がよく残る東野山城 一番下草がある主郭  東野山城(左禰山城、東野山砦とも)は、西側に広がる視界を見下ろせる標高407メートルの絶好の場所にありました。かつてはここを東の起点とし、西側尾根上にある菖蒲谷城、そして平野部を繋げてさらにその先の堂木山砦にまで連なる累々と土塁を築造して、柴田方を防ぐ最前線の城としての役割を担っていました。一応その時の防衛ラインの遺構を探してみましたが、既になくなっているのでしょうね、よく分かりませんでした。しかし山上の遺構は大変素晴らしいものでした。案内板が設置された山頂部には土塁が目の前を遮断していますので、右側から回りこんで郭内に入ることになります。いきなり喰い違いとなった虎口が期待感をあおってくれます。この東野山城は全体的にこじんまりとしたお城ですが、縄張りは実に巧妙に造られており、又それがよく残っていますから楽しいですね。北東の最高位にある郭は一番大きく、これが主郭だろうと思われるのですが、実は違うそうです。北東隅には土壇状の高まりがありますが、この上からでは下への眺望はのぞめません。主郭は西側の少し下がった場所にあり、土塁で隠れている中にあるのです。
 ということで南へと続く郭に入り、折れのある土塁を見つつその先に馬出しをもつ虎口を確認します。しかし縄張り図のようにはいきませんね。馬出しを感じるのはやや難易度が高いようです。そして、土塁と横堀を回り込むようにして主郭に到着しました。西側に面した構造は、現在でもわずかに眺望が広がります。木がなければ眼下を睨む砦としての役割を十分発揮していたことでしょう。ここはもう少し下草が無くなって整備がされれば大変いいお城になりそうですね。お奨めです。
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