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山中屋敷跡登城日:(2005.09.19) 所在地: 甲賀郡水口町宇田(うった) |
歴史 |
山中氏はもと鈴鹿峠に近い山中村の地頭で、鈴鹿山警護役も勤める御家人であった。 後にその一家が、神宮領柏木御厨内のこの地に移り、戦国期には有力な国人に成長、甲賀郡中惣の中核をなしたが、天正十三年秀吉によって改易された。 本遺跡は江戸時代甲賀古士の由緒によって許された屋敷跡と伝えられるが、戦国期に同氏が築いた居館群の一部とも考えられ、今も土塁などが残っている。 『山中屋敷跡案内板』より
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資料 |
私見 |
山中屋敷は植城の南方300メートルほどの小さな竹やぶとなっています。外から取り付けそうな箇所を探してみますがびっしりと密集した藪の奥にはそうそういけそうにありません。また南側の道路から中を覗き込むと高い土の壁により視界が遮られており、状況をつかむことさえできません。 結局、東側から意を決して藪に飛び込みました。意外にも中はあまり竹が生えそろっていませんので、地面の隆起はよく確認できました。堀跡だとわかるのを見つけて嬉しかったのもつかの間、南側に伸びる高い土塁を見た瞬間一気にテンションがあがってしまいました(笑)。高さにして3〜4メートルの土塁は逆Lの字の状態で残っており、南側の土の壁の正体だったのです。 土塁などの遺構はすばらしいのですが規模が小さいので当時もこんなものだったのかな?と考えさせられるのですが屋敷跡をぐるりとめぐらされた用水路は「グルリ」と言われており、湧き水が流れてたそうですので今の規模がそのまま当時のものなんでしょうね。
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