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各和城跡登城日:(2007.08.25) 所在地: 掛川市各和、永源寺 |
歴史 |
各和城の詳細は不明である。また居城していた各和氏自体が不明であるが、今川貞世(了俊)の孫貞行が各和氏の祖であるという(『寛政重修諸家譜』) 各和氏については、永正三年(1506)に伊勢新九郎長氏(北条早雲)が三河に攻め入った際に従った遠江衆の中に見られる。また永禄十二年(1569)、今川方として徳川方の将久野宗能と戦って討ち死にした客輪三郎兵衛がいた。しかし各和元達と同一人物であったかどうかは不明のようだ。 『日本城郭体系9』新人物往来社刊参照
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資料 |
私見 |
各和城跡として比定されていたのは、掛川市の西端にある永源寺でした。日本城郭体系に載っている遺構としては寺の北側裏手に土塁状の残片があり、北方900メートルにある金塚にも曲輪、土塁などが残る出城跡らしいものがあるようでした。ふらふらしてみましたが、”土塁状”と言われればそうなんですけど・・・ちょっと想像するのは難しい現状ですね。
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