土気城跡 登城日:(2002.06.08) 所在地: 千葉市緑区土気町829番地 |
歴史 |
土気城は、平安時代の鎮守府将軍であった、大野東人が東北地方の蝦夷に対する軍事拠点の一つとして築いたものと伝えられている。その後、1488年(長享二年)中野城主であった酒井定隆がこの城を修復して入城し、以後、五代約100年間に亘って酒井氏の居城として上総の地に君臨した。 城は鹿島川や村田川の水源となっている標高90mを越える台地上に、その急峻な地形を利用して築かれ、難攻不落の名城として知られていたが、1590年(天正18年)豊臣秀吉の房総攻めの際に破れ、廃城となった。本丸、二の丸などの城の中核となる部分は現在、日本航空研修センターの敷地になっており、部分的な改変は有るものの全体の保存状態は良好で戦国時代の城郭の形態を良く残している。 『土気城跡案内板』より
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資料 |
私見 |
貴船城から数百メートルも離れていない場所に土気城はありました。案内板と縄張り図が三の丸跡に建てられていることから、本丸には踏み込めないんだなってことがなんとなくわかります。 現在は農道が城内を縦に縦断したかたちで通っていて、三の丸と二の丸の間には空堀跡があります。が、そこから先、本丸跡には日本航空研修センターの敷地内となっていて、侵入することはできませんでした。しかしそのまま農道を突き進んでいきますと、本丸脇下を通って、道は急な下りの坂道になっていて、「本丸下はものすごい切り立った断崖が広がってるなぁ・・!」と見上げたままバイクで降りていきました。 急すぎてその坂を二度と登って戻れませんでした(笑)が、強烈な威圧感は忘れられませんです。断崖の断面はところどころ直径50センチ以上の丸い穴があいていて、なにか恐ろしい印象をうけました。 しかし・・気がつけば三の丸より先は全然余裕がなくて写真とるのをすっかり忘れてました・・。あぁ不覚。
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