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臼井城跡 登城日:(2001.10.13) 所在地: 佐倉市臼井 |
歴史 |
![]() 戦国時代の末期には原氏が城主であったが、天正十八年(1590)小田原落城により、千葉氏とともに滅んだ。以後酒井家次三万石の居城となって、慶長九年(1604)の転封まで使用された。太田道灌・上杉謙信との攻防戦は有名である。 ◆土橋 土橋は、空掘によって区切られたI郭の坂虎口(出入口)とU郭を結ぶ通路の役目を果たしていました。 土橋の幅を狭くすることで、一度に多勢の敵が渡れなくなります。さらに、曲がった坂をつけて敵の進む速度を低下させ、北にあるI郭の土塁上から側面攻撃を受けやすくなるように工夫されています。 現在は、盛土によって覆い、保存しております。 『臼井城跡案内板』より
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資料 |
私見 |
![]() ![]() 本丸をぐるりと一周しましたがちょうどここら一帯の一番の高所であることもあって印旛沼まで一面が見渡せるようになっています。今ではすっかり宅地化が進み、民家が密集していますがかつてはこの急峻な傾斜がこの城をして堅牢たらしめていたのでしょうね。また、本丸北部には太田図書のお墓がありました。文明十一年(1497)千葉孝胤(康胤の子)がこもるこの臼井城を太田道灌が攻め寄せたのでした。戦上手な道灌を見事敗退させた臼井城はまさに名城だったのでしょう。激戦の末、道灌の弟である図書助を討ち死にまでさせているのですから。 佐倉市レンタサイクルの城攻め編、次を目指すことにします。
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