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夷山城跡
登城日:(2001.02.11)
所在地: 徳島市八万町夷山
 

【歴史】 | 【資料】 | 【私見】

歴史 夷山城跡  夷山城は細川持隆の子で真之が初代城主であったといわれている。次に弘治年間(1555−1558)には篠原佐吉兵衛が在城したが、永禄五年(1562)、三好義賢と戦い敗死。やがて家臣であった庄野和泉守兼時が独立したが、天正十年(1582)織田信孝が四国守護となったころから混乱の中に置かれることになる。三好康長、織田勢、長宗我部氏らなどの覇権争いのなか庄野和泉守は所領を失い、同時にその時に夷山城も廃城となった。

『日本城郭体系15』新人物往来社刊より参照

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資料  

私見  円福寺のたっているところよりやや南側に小高い丘があり、鬱蒼と木々がしげっています。ここがかつての夷山城の姿でした。ちょうどその丘に上る一本道が西側につくられた公園から登ることができるようになっているのですが、その先は寺の管理地域内らしく『立ち入り禁止』の札がたてられています。私はこういう札には極めて紳士的に振舞うことにしていますのでしかたなく退散することにしました。といってもたいした遺構があるようには見えませんでしたが・・。
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