HOMEへ  

岡崎城跡
登城日:(2001.02.10)
所在地: 鳴門市撫養町妙見山
 

【歴史】 | 【資料】 | 【私見】

歴史 本丸跡にたつ妙見神社。 ◆妙見神社
当神社は造化の神、天御中主神をまつる。この神様は古天地の今だ成立しない時に大空の真中に生まれ給い天地万物の大元をおすべになり有形無形のみたまとして永久に世に幸を与えられた。そのおおみいつによって次々に神々がお現われになり其の尊い・・。御神徳ははかり知られない。故に海運・延命・長寿・安産・海陸交通安全の守護神として広く信仰せられている。平安末期、中国より伝わった北辰(北極星)信仰と結びついて妙見社としてまつられるようになった。天保元年(1830)旧城主四宮加賀守の子孫と撫養林崎卿の近藤利兵衛氏が此の城址に妙見神社として再建した。

 天正十三年(1585)蜂須賀家政が入国し阿波の東北咽喉地にあるこの山に岡崎城を築き阿波九城の一つとして益田大膳をして守らせた。
 寛永十五年(1638)徳川幕府の命により一国一城の制がしかれこの城も廃せられた。

『岡崎城案内板』より

【戻る】

資料  

私見 神社裏に石垣が残っています。 淡路島から鳴門大橋をわたっていると山の上に模擬天守が建てられているのがみえてきます。岡崎城、別名撫養城跡です。阿波九城の一つにあたるんですねぇ。さてこの九つのうちどれだけ今回回れるでしょうか。
 この岡崎城跡、昭和四十年に建てられた城郭風鳥居記念博物館を目印にすぐ近くまで車で寄せることができます。なぁんだ単なる模擬天守かと思っていたのですが、実はここの本当の見所はその建物のすぐ横にある妙見神社であり、その神社の奥には古い石垣がそのまま傾斜までわかる程度に残されています。こここそが岡崎城の本丸跡だったようです。組まれている石は和泉砂石を主とした切石で組んであり、高さ4.5m、幅13m余りが見て取れます。積み方は布積み仕上げとなっているところから近世にはいって組まれた比較的新しいものであると見られているようですね。
 いやぁ意外とおもしろい城跡でした。
城郭風の鳥居記念博物館
【戻る】