城めぐドットコム HOMEへ Check   Twitterでつぶやく  

津田台場

津田台場跡


登城日:(2008.07.26)
所在地: 徳島市津田町2丁目、津田砲台場史跡公園
 
【歴史】 | 【資料】 | 【私見】

歴史
砲台場史跡公園として整備されている津田台場 津田台場の火薬庫跡 ◆津田砲台場史跡公園
 嘉永六年(1853)、ペリー提督率いる黒船の浦賀来航に驚いた徳川幕府は、諸藩に海防の強化を命じました。
 津田砲台場は、これをうけて時の徳島藩主蜂須賀斉裕が家臣で砲術家の勝浦安右衛門と小出由岐右衛門の両名に命じて築造させたものです。
 工事は、文久三年(1863)にはじまり、津田山から土石を採取して、南北約百十メートルに及ぶ高台を築き、翌元治元年に後方の平地に調練場と附属の建物を配置した砲台場を完成させました。
 大砲は、口径十五センチの一等砲二門を含めて全部で三十門、台場上に二十門と左右の松原に各五門を配置して、津田川口の守りに備えました。
 当時の御台場守備兵は五十名。中老職の司令のもとに安宅の二、三男を徴した洋装血気の雉子隊を配備し、オランダ式の高島流砲術で訓練していましたが、慶応三年(1867)から調練が、また、大砲も漸次元込め式に変わり、明治三年四月に御台場が廃止されるまで、昼夜警備にあたっていました。
 現存する砲台場の遺構は、東北部の一部で面積は全体の約十一分の一程度ですが台丘の盛り土と火薬庫の障壁などを残していたので、津田文化財保勝会をはじめ地元各位のご協力を得て、これを史跡公園として整備し顕彰するものです。

『津田台場跡案内板』より

【戻る】

資料
【地図を表示する】
 

私見
津田台場跡  津田台場は以前来た時はさんざん探し回って見つからなかったのですが、今回は不思議とすぐにたどりつきました。アパートの影で少し気付きにくいですが、小さな公園として整備されていますので絶えずきょろきょろしていればきっと見つかるはずです(地図を載せてますが少し不安・・。)
 徳島藩領内の台場としてはこの津田台場が一番の規模だったようですが、現在は一部のみが整備されています。かつては海岸線から三間半海に突き出した格好となっていたというのですからずいぶんと海岸線も変わってしまったのですね。火薬庫跡が残るだけでも嬉しいですが、寂しさを感じます。
【戻る】