片倉城跡 登城日:(2002.08.24) 所在地: 八王子市片倉、片倉城址公園 |
歴史 |
丘陵上に二本の空掘があって二つの郭に分かれている。東の郭が城の主郭と思われ、「武蔵名勝図全」には「空濠深く、南の隅に当たりて堀切の外に高く築き上げたる独立の地あり、物見櫓など構えたるにや」と見える。 西側の郭は「西の方に表口と見えて坂道の跡あり、平地へ入口のところは左右築地の間ニ、三間切れて見ゆれば、ここは城門口なるべし」とあって、おそらく大手口であったろうと考えられる。 城の鬼門に住吉社があり、城主と目されている大江備中守師親が長門国住吉神社を勧請したものであると言われるが確証はない。 『片倉城跡案内板』より
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資料 |
私見 |
片倉城は室町時代、大江広元を祖先とする長井氏によって築城された城だといわれています。現在は公園化され憩いの場所となっているようですね。私が訪れたときも地元の方によって清掃が行われていました。訪城した時にこうした方々に遭遇するとほんと感謝の念にたえません。おかげで足元も実に綺麗な状態で散策することができるのですから。 さて、公園を少し奥にすすむと住吉神社がたつ高台へと階段を上っていくか、脇にも同様に登っていく坂道があります。私はとりあえず神社にいきましたが、そこにも案内板がありました。今日はたまたま夏祭りの準備かなにかで忙しそうにされていましたので、邪魔にならないようそそくさと神社奥へと歩みを進めます。少し開けた平坦な郭跡に出ます。そしてその先は二の丸です。やけにだだっぴろいのが印象的です。 二の丸左手側にはさらに本丸があり、空堀でくっきりと仕切られているのが確認できます。今でこそ土が埋まってしまい浅くなっていますが、当時はかなりの深さだったのではないでしょうか。本丸へはその上を橋がつくられていますのでそれを渡っていくことになります。本丸にはお約束の城址碑がなく、寂しかった(笑)ですが、公園化されているのもかかわらず、城の縄張りがよくわかるような状態のままで空堀や郭跡が確認できたので十分でした。案内板には記述がありませんでしたが、戦国時代の後北条氏の支配時代は八王子城や、滝山城などの支城のような役割をはたしていたのでしょうか。
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