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渋谷城跡
登城日:(2001.03.16)
所在地: 渋谷区渋谷3−5、金王八幡社
 

【歴史】 | 【資料】 | 【私見】

歴史
渋谷城のあった金王八幡社  渋谷駅から歩いて5分ほどのところにある金王八幡社はかつて渋谷氏が城を構えていたところである。  しかし、渋谷氏の動向についてはほとんどわかっておらず、大永四年(1524)に、江戸城が後北条氏に奪われた時に渋谷氏は城を捨てたといわれている。 ◆金王八幡宮社殿及び門  社記によると、この神社は渋谷氏の祖、河崎基家が寛治六年(1092)に創建したといわれています。
 現在の社殿は、徳川家光が三代将軍に決定したとき、守役の青山忠俊が家光の乳母春日局とともに、慶長十七年(1612)に造営を開始したものです。その後様式をとどめている貴重な建物です。
 門は明和六年(1769)と享和元年(1801)に造られたとするニ説があり、江戸中期の建立には違いありませんが、その後何度かの修理を経て今日に及んでいます。
 このあたり一帯の高台は、平安時代末期から渋谷氏一族の居館跡で、東に鎌倉道、西に渋谷川が流れ、北東には低い谷地形(黒鍬谷)があって、居館を囲んでいるうえ、かつては数ヶ所に涌泉があるという好条件を備えていました。
 しかし、その居館(城)は大永四年(1524)、北条氏と上杉氏の合戦のとき、北条氏の一軍に焼き払われてしまったということです。

『渋谷城跡案内板』より

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資料
 

私見
うしろから  渋谷駅前の雑踏からそれほど離れていないこんな場所に城跡があるとは、と思わせるほど渋谷城跡は青山通りを少し入った区画のなかにありました。
 これという遺構はないですが、渋谷に城があったという事実と、それがここにあるということを知っていればヒトに自慢できるかも?(笑)。
 金王っていうのはたしか河崎基家の次男の幼名が金王丸で、源頼朝に従って活躍したってくらいしか知りませんが、それが「金王丸伝説」とよばれるものになるはず(笑)です。
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