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鏡山城跡登城日:(2010.05.03) 所在地: 日野郡日野町黒坂 |
歴史 |
鏡山城(別名黒坂城)は、伊勢亀山城主であった関一政が慶長十五年(1610)に五万石で黒坂に配された後に築いた城である。日野川が流れる山間の中にあり人もほとんどいなかった場所に築城され、そして城の東には城下町も形成されていった。現在もその名残が碁盤の目のように整備された道路が残っている。
やがて元和三年(1617)に関氏が廃されると以後は池田光政が因幡・伯耆の二国を治めることとなり、黒坂には家臣の池田下総が入った。その後、寛永九年(1632)池田光仲が鳥取藩主となると、黒坂には家臣の福田氏が『自分手政治』を任されることとなる。福田氏は平素は鳥取にあり、黒坂城には城奉行が駐在し、黒坂陣屋と称された。 近年地元のボランティアにより山麓部の陣屋石垣がよくみられるようになった。また山上には土塁を多用した山城遺構がよく残っている。
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資料 |
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私見 |
鳥取県西部の日野町はちょっと行き難い場所にありますが、米子道を使えばあとはそんなに苦労することなく、あまり知られていない名城に出会うことができるところです。そんな名城の1つが鏡山城(別名を黒坂城)なのです。 日野川が流れ、出雲街道が通るこの地域はかつてはたたら製鉄の地として知られていました。現在はどうか知りませんが、やはり寂しい感があります。お昼を買う場所にも困ったので余計かもしれません・・(^^;。 伯備線「黒坂」駅に来ると、一際目立った石垣と『鏡山城』の看板が目に飛び込んできます。非常に散策しやすそうに見えますが、これはここ数年の間に地元の方のご尽力によって草刈、整備が進められたからなのですね。見た目には崩れてしまいそうな状態の石垣もありますが、それでも下草がなくなると堂々たる風貌を感じさせてくれます。削平地上にあがると奥に井戸も残っていたり、巨大な石材が崩れた状態で見られたりします。今でこそ普通に見ることができますが、ちょっと前までは往時のままに下草に覆い隠されていたんだなと思うと感慨深いものがあります。 さらに奥は竹藪ですが、場所を選べばそんなに苦労することなく山上まであがることができました。ここまではまだ手が入っていないようですが、それでも土塁が残っている長い郭がいくつも続いているのは分ります。竪堀までは写真が撮れる状態じゃなかったですが、麓の石垣とセットで考えるとかなり立派な城が作られていたんだと驚きです。そういえば地図で見れば伯備線を挟んで東側は現在も碁盤の目のように城下町の様子をうかがうことができる程度には残っていますし、この鏡山城とあわせてもっとアピールしていってもいいんじゃないかなと思います。さしあたっては駐車場スペースの設置と、そこへの案内をいくつか、そして城跡の沿革や縄張り図が描かれた案内板を設置していただければいいのになぁ。いやそれ以前に日野町のWebサイトに町内の城跡分布図を載せるのもいいでしょうね。私は個人的に応援していますので、是非とも盛り立てていってください。 って・・なんか不思議な終わり方になってしまいました(笑)。
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