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真野氏館跡


登城日:(2007.04.08)
所在地: 米子市日下、瑞仙寺
 

【歴史】 | 【資料】 | 【私見】

歴史
瑞仙寺西側に残る真野氏館の土塁  真野氏館の詳細は不明である。15世紀中に築城され、そして廃城となったと伝えられている。

◆瑞仙寺文書
 曹洞宗久坂山瑞仙寺は、天仁元年(1108)平正盛に討ちとられた源義親の菩提をとむらうため、二人の家来が出家して建立したのがはじまりであると伝えられるが、土豪真野氏らによって守られ、十五世紀半ごろ山名氏が現在地に移した。
 ここに保存されている永享十一年(1439)の山名教之書下ほか三十通の中世文書は、この地方を支配した山名氏、尼子氏、毛利氏等による寺領寄進や寺領保証関係のものである。中世文書のはなはだ少ない鳥取県内では、十五世紀から十七世紀にかけての西伯耆政治史研究上貴重な資料である。

『瑞仙寺案内板』より

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資料
 

私見
 このあたりの土豪である真野氏の館があったとされるのは現在瑞仙寺境内一帯となっています。『鳥取県中世城館分布調査報告書第二集(伯耆編)』によれば同寺の東側、南西、そして北西にL字型に土塁が残っています。実際に周囲を歩いてみましたが、そこまではわかりませんでしたが、確かに土塁跡らしきものはありました。
 ちょうど桜のシーズンということで地元の方が大勢集まった花見が盛り上がっている真っ最中でした。城跡を散策している私一人ではかなりつらいものがありました。
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