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倭人城跡
登城日:(2004.10.23)
所在地: 鳥取市倭人
 

【歴史】 | 【資料】 | 【私見】

歴史
尾根上に郭が連続し掘り切りが!・・と見えてしまいます。  倭人城の詳細は不明である。西方数百メートルに位置する鵯尾城の出城であったこともあるようだ。山上の古墳を利用した山城として発掘調査されている。
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資料
 

私見
どこまでが城跡か分かりにくいです。  少し前、鵯尾城を探しに来た時に発掘調査された跡を残していたのがこの倭人城跡でした。倭人集落の西部に位置する山の中腹から山上部にかけて大部分が山肌を顕にされてしまっており、遠くからでもすぐにわかります。
 東側山麓に車を停めると、そこから歩いて登城口を捜します。北側からぐるりとまわっていくと途中に墓があります。しかしそのすぐ上は登っていくには急すぎる傾斜です。でも「発掘したんだから道がついてるはず」と確信していました。
 西側の池沿いに南側に回り込めればおそらく広い真新しい登城道がつくられているんでしょう。当然目指すはそのポイントです。・・が、できませんでした。突然現れた蛇に驚いて、それ以上先に進めなかったんです。そうです、黒地にシマ模様のついた三角頭のへびくんです。これ以上いくとマムシの被害にあうかもしれない、そんな思いがそれ以上の歩みをとめてしまいました。仕方なく、後戻りを始めた私は”直登できそうな”ポイントを探しはじめました。(^^;
 幸い10メートルも登れば、すぐその先が発掘された歩きやすい山肌です。しかし最後にもう1つ壁が立ちふさがりました。それは発掘の際に伐採した木々が追い落とされるようにして蓄積し、下からの登城者に対して忍者返しのようになっているのです。小さな枝が密集しているその部分はうっかり間違えると体重をかけたポイントがあっさりと折れ、そのまま下まで落とされてしまいそうです。でもこういう時ほど慎重になっているようで、落とし穴はたいてい帰り道にあるものです。(--;
 さて、無事発掘されたエリアに侵入できました。かなりの広範囲にわたって、郭跡のような地形があり、ところどころに堀切と見える起伏があります。が、基本的には古墳なので、土棺のような掘り跡が至るところに点在しています。発掘跡としては十分興奮するところなのですが、残念ながら城跡としてはよくわかりません。「日本城郭体系」にも山頂部に平地が2つといった程度の記述しかなく、その存在はあまり知られていなかったようです。「どこまでが城なんだ?」なんとも、消化不良な状態の城攻めでした。
 最後に、城を下りる際に足をくじいてしまいました。なんとか歩けますので折れてはないようですが、くれぐれも山城を歩かれる時は足元をお気をつけください。
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