HOMEへ Check   Twitterでつぶやく  

富長城跡


登城日:(2006.10.08)
所在地: 西伯郡大山町富長、富長神社
 

【歴史】 | 【資料】 | 【私見】

歴史
富長城東側の堀跡 陣屋跡でもあった富長城跡の富長神社  富長城は、元弘年間(1331−1334)頃、名和氏に協力した荒松氏がこの地に築城したと伝えられている。また戦国時代には、西伯の土豪福頼左右衛門尉が在城したとされ、大永四年(1524)に廃城したようである。

『日本城郭体系14』新人物往来社刊参照

【戻る】

資料
 

私見
土塁が取り巻く富長城跡  国道9号線を海側に1本入った狭い道路に面して、富長神社があります。ここが富長城跡であり、道路脇には標柱が建てられています。神社への参道は一旦少し下り、深い川に架けられた橋を渡るとそこから登り階段を上がることになります。見た目の印象通りここはかつての堀跡です。現在はほとんど破壊されていますが、富長城のまわりには日本海に面している北面を含め、四方を掘で囲まれていました。現在は東側と西側が比較的良好に残っていると思われます。
 階段をあがり境内に足を踏み込むと、そこが一瞬で城跡であることがわかります。そこには現在残るものでも高さ3〜4メートルもの土塁が神社を囲んでおり、ここが神社であることを忘れさせてくれます。完全に城ですね!
土塁が取り巻く富長城跡  郭は方形かと思いましたがやや五角形の形状を呈しており、東側、西側にそれぞれ1つずつ通路として土塁の切れ目がありました。やや藪化していますが西北隅には物見台あとと見られる高台も残ります。単郭の城跡かと思いましたが、手元資料にある縄張り図では西側の堀の向こうにも郭が2つ、そして北面にも腰曲輪のような長細い郭もあるようです。
 この地は後に陣屋としても使われていたこともあるということですが、現在建つ富長神社の建設の折もあわせ、よくこれだけの遺構が残されていたもんだと改めて現状に感謝せずにはおられませんでした。
 なかなか訪問しづらい場所にあると思いますが、ぜひとも足を伸ばしてこの富長城跡を訪問していただきたいと思います。あとは駐車場、あるいは駐車スペースがあればもっといいんですけどね。ちなみに私は1台程度のスペースがある鳥居前に置きました。
【戻る】