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防己尾城跡
登城日:(2001.08.12)
所在地: 鳥取市岩本
 

【歴史】 | 【資料】 | 【私見】

歴史
防己尾城跡  吉岡将監定勝が築城したといわれる。
 城跡は本丸・二の丸・三の丸とそれに取り囲まれた町屋とから構成されており、北側には船着場が設けられていた。
 天正九年(1581)羽柴(豊臣)秀吉鳥取城攻略の時、将監は奇襲によって、たびたび秀吉勢を悩ませた。また、将監の弟右近は秀吉の千生瓢箪の馬印を奪い取ったという。しかし、この城はその後亀井茲矩により落城した。

『防己尾城跡案内板』より

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資料  

私見
防己尾城跡  防己尾城は天正六年ごろに吉岡将監定勝が築城したもので、湖山池の西側のほとりの低い山の上に広がっています。行ってみると公園として整備してあり、本丸へは5分ほどの山道を歩いていけばたどり着くことができました。本丸半ほどのところに城址を表す石碑があるのはいいのですが、奥の池に面した部分にせり出した見晴らし台が設置してあるのはいただけません。城跡としてよりも、まわりの人々が憩えるような公園として整備されたのかもしれませんね。
 しかし、こんな低い山城が難攻不落で秀吉を悩ませたとは不思議でなりません。力攻めで落せなかったのではなく、おそらく長期にわたる攻防を見据えて、こんな小さな城で大事な戦力を消耗したくないといったところがホントのところなのでしょう。兵糧攻めで落しているところからそう思ったのですが、でも当時秀吉のなかで兵糧攻めが流行ってただけなのかもしれません(笑)。
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