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槻下豪族館跡登城日:(2006.03.25) 所在地: 東伯郡琴浦町大字槻下 |
歴史 | ![]() ![]() 当時はこのような居館を館(たち)と呼び、周囲に土塁をめぐらし、堀を為すことを常としたので、堀の内・土居ともいった。 土地の人は、今でも「おおぼれ」と呼び、周辺に「陣場野」「垣の内」「門田」などの地名も残っている。 『槻下豪族館跡案内板』より
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資料 |
私見 | ![]() あるガイド本を見ながらやってきたのですが、その場所が間違っていたために予想以上に苦労しましたがそのかわり、声をかけた方が偶然にも以前このあたりの学芸員をしておられたということで快くガイドをしてくださることになりました。 車で案内板があるところまでいけるのですが、その方の家から歩いていくことにしました。途中で直角に曲がっている道路が2箇所、また屋敷のあるところから200メートルほど離れた西側の段々になった田んぼには以前は切り通しが東西に走っていたとのことです。 ![]() 高さ3メートルほどの土塁の上を移動しながら屋敷の奥へと進んでいくと北側に虎口がありました。また西側には枡形のようでもあり、一地方豪族の屋敷と簡単に片付けられないスケールの大きさを感じます。近隣の神社との連携も当時はあったかもしれないようですし、又屋敷外にあったとされる遺構との関係から考えると非常に大城郭であったかもしれません。また機会があれば発掘調査書がないか探してみることにします。
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