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高岡城跡


登城日:(2003.05.24→2010.10.10)
所在地: 高岡市古城
 

【歴史】 | 【資料】 | 【私見】

歴史 大手そばにある高山右近像 広大な高岡城本丸  この地に城が築かれたのは、慶長十四年(1609)前田利長が居城である富山城が火災により焼失したためであった。一時的に魚津に移った後、高岡城に入った。
 城の構造は主郭となる本丸を中心とし四郭が配され、大手口のある西側以外は二重の堀がめぐらされている。この水堀は庄川から水をひくことで常に満々と水が張られていたという。
 現在も当時の姿を偲ぶことができるほど城域はよく残されている。

◆高岡城石垣
 高岡城は元和元年(1615)廃城となったが、当時の城壁の名残りとして、二の丸と本丸を結ぶこの地に土橋の石垣が見られる。
 この石垣の石にはいろいろな文字や文様が刻印されており、キリシタンに関係があるという説もあるが、石工が石を切り出した時につけた目印だと考えられる。
 石垣の積み方は乱積みという素朴ながら堅固な方法を用いている。
二の丸本丸間の土橋、石垣 よく見れば石垣には刻印が ◆高山右近顕彰碑
 高山右近(1552−1615)諱は長房・通称右近大夫、洗礼名はジュースト、茶道では南坊と号した。織田信長、豊臣秀吉に抜擢されて明石十二万石の大名となり、切支丹禁令を拒否して追放されたが、細川忠興の斡旋により秀吉の内諾を得て、加賀藩に万石以上の高禄で迎えられた。前田利家・利長は茶聖千利休門下で南坊と相識り無二の知己であった。
 高岡市の開祖利長公が隠退後の慶長十四年に築いた高岡城は、築城術の名手右近が縄張りした独創遠大な構成で、江戸城大阪城に比肩すると評される名城である。公は天下の大勢を洞見し、徳川豊臣の抗争再燃を憂慮して、万々一の有事に備える深謀の築城であった。
 徳川幕府の禁教令愈々厳しく、慶長十九年正月右近は国外追放となり、在藩二十六年の恩遇を深謝して告別した。十一月呂宗に渡ると大歓迎を受け、令名はスペイン・ローマまで轟いたが、間もなく悪疫に冒されて翌元和元年正月数奇多難の生涯を終った。
 高岡市民は利長公と高山右近異体同心の悲哀を偲び、敬慕の至情は錦々子々孫々に及んで永遠不滅である。

『高岡城跡案内板他』参照

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資料 【地図を表示する】
 

私見 高岡城の水濠 本丸にある前田利長像  高岡城は、現在古城公園として整備され、また本丸には射水神社が置かれ、城内にまで車が往来できる状態にありました。折しも私が訪問した日は同神社で結婚式が行われており、今やすっかりお城としての役割はなくなってしまっていることにがっかりされられます。とはいえ、じっくりと城内を散策していくと水堀をはじめ、縄張りがそのまま現在も残されていることがわかり、ワクワクしてくる城であることが見えてきます。
 大手口から見ていくことにしましょう。城の南側ちょうど高山右近の像が設置されているあたりが大手となります。ここから資料館が建っている鍛冶丸を左折し土橋を渡ると二の丸となります。そして右折して土橋を渡ると広大な本丸となるわけです。現在は二の丸を分断するような格好で南外濠の中央に道路がつけられていますが、元々存在しないものです。これがあると無いとでは随分と印象が違ってきますね。ちょうど二の丸が大きな馬出しのような役割に見えてきます。また二の丸と本丸とを繋ぐ土橋の両脇には城内でも貴重な石垣を拝めるスポットとなっています。石材は虻が島、氷見灘浦海岸、高岡市雨晴海岸などから石灰質砂岩が用いられているとのこと。よくよく見れば随所に刻印が見られるのが大変興味深いですね。加賀藩単独で築城したというのに実に多彩な文様を確認することができます。
創建当時のものとされる井戸 石垣を西側から臨む  本丸は東半分は神社となっていますので見学はそこそこに、西側を中心に散策することにします。一気に視界が広がる美しい公園です。芝生の緑が眩しいほどです。また至るところに銅像が建てられていますのは高岡市の産業をそのまま表しているのでしょうね。本丸の周囲は一段高くなっていますが、当時の土塁の名残なのでしょうか。また本丸北西隅には前田利長公の像が置かれています。右近よりも目立っていないように思いますが・・。
 本丸から周囲を見渡すことにします。周囲を水濠が取り囲んでいるのに加え、北、東、南の三方はさらにもう一重の濠が作られ、二重構造となっているのに対し、西側だけは濠幅も狭く、一重構造が気になります。しかし往時は周囲が沼地となっていたということですので、西側の大変攻めにくい状況ではあったのでしょう。外濠は各郭毎に独立したような格好となっており、全体に直線が印象的な縄張りで大変面白いです。案内板にあるように大阪城や江戸城と比肩するほどかはさておき、六年で廃城としてしまうには惜しい名城だと改めて感じます。
 現在は水濠を遊覧船で楽しむことができるようになっており、約30分のお濠ツアーが用意されています。大人800円(小400円)の利長号と利常号に乗ってみてください。コースだけ見ていると木々が茂った中を行くので眺望が臨めなさそうですが、土橋の石垣を間近で見れるのは少し興味があります。いつもは必ずこうしたお濠めぐりは体験するのですが、今回は時間がなくて残念ながら諦めたのですが、楽しまれた方がいらっしゃったらその時の感想をお聞かせください。(^^
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