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指月山狼煙台跡


登城日:(2006.11.26)
所在地: 萩市大字堀内、指月山
 

【歴史】 | 【資料】 | 【私見】

歴史
指月山頂上部です。 花崗岩がむき出しで切り出された跡を残します。  萩藩では寛政四年(1772)十一月の幕府の海岸防御御立案提出命令を受け、周防・長門両国内に砲台場と狼煙台の設置を決め幕府に提出した。
 狼煙台(狼煙場とも)は、狼煙をあげる三、四畳ほどの大きさの竈を設置し、野火が広がらないようにしたとある。常時三人ほどが交代で待機しており、それによって外国船の動向を瞬時に伝わるようにしたのである。
 萩藩領下に設置された狼煙台は実に130ヶ所を数えるという。この指月山狼煙台は、萩城詰の丸のある指月山山頂にあったとされるが、狼煙台の遺構としては不明である。

『城郭・陣屋・要害台場事典』東京堂出版刊参照

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資料
 

私見
むしろ萩城詰の丸跡としての遺構が見事!  萩城に来たのが薄闇迫る夕刻だったのですが、我慢できずに詰の丸跡へと強行してしまいました。通常ならばよく整備された登城道ということになるんでしょうが、だんだん暗くなる中でなおも登っていることが恐怖心をあおってくれます(笑)。決して城好きな良い子は真似しないでください。
 山頂手前で土塀が復元されているのが見え、驚いたのですがその白壁にはもうこれ以上書けないんじゃないかと思えるほどの落書きが彫られていました。こんなことをさせるために用意したホワイトボードかと勘違いするほどの醜悪ぶりに一気に怒りがこみあげてきます。でもこれで恐怖心がなくなったのは後で気づきました(笑)。
 詰の丸はそれ単体で立派な山城としてみることができますね。巨大な岩盤には幾筋もの楔跡が残り、かつてここで石を切り出していたことが現在も明瞭に残っているわけです。また中央部分に大きな貯水池もありますし、石垣で組まれた小さな枡形状となった通路は見事な状態です。とは言えすでにかなり暗くなってしまってましたのでよく見えませんでしたが(;_;)。
 まぁそんな状態ですので、当然ながら狼煙台のことはすっかり忘れていましたが詰の丸跡も紹介したくて少々強引ではありましたが、指月山狼煙台跡としてあげてみました。とても130ヶ所も行く気はありませんが、萩藩は他藩の追随を許さないほどの外国船に対する構えが厳重ですね。台場廻りをするだけでもあと何日くらいいるんだろうかと頭が痛いですよ。
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