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築山跡


登城日:(2006.11.26)
所在地: 山口市上竪小路、築山神社・八坂神社
 

【歴史】 | 【資料】 | 【私見】

歴史
八坂神社鳥居脇にある築山跡を示す碑 神社境内にかつて広大な大内氏の居館、築山館がありました。  ここは大内氏二十八代教弘が十五世紀中頃に築いたといわれる築山館跡です。築山館は、教弘以後歴代当主の居館となったところです。中世の連歌師宗祗は「池はうみ こずゑは夏の深山かな」と詠んでおりこの句からかつて豪華であった庭の様子が偲ばれます。
 築山館は大内氏滅亡後朽廃しましたが、園池の跡は残っていたといわれています。しかしこの池も江戸時代中頃周囲の築地の土をもって埋めてしまい、現在のようになったといわれています。
 江戸時代末の絵図によると築地の外面は自然石の石垣であったことが伝えられています。
 現在指定地内の北西隅にかぎの手に土塁(築地)が残っていますが往時の館の規模を示す遺構として重要です。
 また指定地内には八坂神社(本殿が国指定重要文化財)と築山神社があります。

『築山跡案内板』より

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資料
 

私見
安政三年(1856)に落雷のためになくなった月見の松跡 築山跡北西部に残る土塁  隣の大内氏館跡を散策したついでにそのまま八坂神社の境内に踏み込みます。八坂神社と築山神社及びその東側と北側を含む145メートル四方、面積2.4haに及ぶ築山と呼ばれる大内氏の館がそこにありました。現在は小さな碑があり、また案内板も設置されています。何よりも北西部に土塁が高々と残っているのが築山跡であることを物語っています。元々は巨石が組まれていたらしいのですが、文久三年(1863)に毛利氏が萩城から山口城へ移った際に、石垣を運んでしまったようです。その跡に土を掻き揚げて現在のような状態にしたのだそうですが、現在残っている大内氏館の土塁よりも高くて立派ですね。(^-^;
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