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越ヶ浜嫁泣台場跡


登城日:(2006.11.26)
所在地: 萩市越ヶ浜
 

【歴史】 | 【資料】 | 【私見】

歴史
今にも崩れてしまいそうにも見える嫁泣台場跡  萩藩が海防に力を入れ始めたのは弘化元年(1844)頃のことである。同年に山田亦介、郡司源之充らに巡視させ、阿武郡から赤間関までの海岸に62ヶ所の台場設置を上申させているほどの海防への取り組みが熱心であった。
 そんな中、弘化二年(1845)に越ヶ浜嫁泣台場は築造された。詳細は不明であるが現在も当時の石垣が一部残っている。

『城郭・陣屋・要害台場事典』東京堂出版刊参照

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資料
 

私見
曲線を描く石垣が印象的な嫁泣台場跡  嫁泣台場は、標高112メートルの笠山の嫁泣湾そばにありました。国道191号を笠山へ折れ、まっすぐ進むと明神池に出ます。その手前を右折し直進します。ここは道が狭いので普通車でも慎重に。そして突き当たりが嫁泣湾になりますので、それを左折し嫁泣橋を渡ります。右へ視線をやると石垣が見えるようになりますがこれが嫁泣台場跡です。
 実際は結構うろうろして探し回りましたが、こうして道案内を書いてしまうと簡単なものですね(^^;。石垣は2メートル以上の高さを有し、実に絶妙なバランスで現状維持できているように見えます。実は現在の状態は近年、風除けのために台場の石垣を利用して積み足したらしいです。それでも曲線を描いて積みあがった石垣を見ると、現在は民家を風から守っているだけですがかつては外国船の脅威から守ろうとしていたんだな・・と(無理やりか(汗))。
 それにしてもここは風も強いし足場は不安定だし、散策される方は十分気をつけてください。
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