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山中城跡登城日:(2011.01.15) 所在地: 岡崎市羽栗町 |
歴史 | 岡崎城主西郷信貞の居城であったが、大永四年(1524)安祥に居城していた松平清康の奇襲を受け一夜にして落城した。その結果、信貞は清康に屈し、岡崎城をも明け渡すこととなった。 この城跡は、標高196メートルの山頂を中心に主郭を中心として、東、東北、西北に延びる尾根筋に郭を重ねた連郭式の遺構を残す県下最大級の規模をもつ山城である。現在残されている山城の中でもその遺構を良く残しており、貴重な史跡といえる。 山中城は、三河地方では最大級の山城であり、東海道と額田郡南部への道をおさえる軍事上の要地に位置していた。室町時代、時の城主岡崎城主西郷信貞は、この城を拠点に家康の祖父松平清康に対抗した。しかし、1524年(大永四年)清康の風雨をついた夜襲にあって落城。山中城を失った信貞は岡崎城をも清康に譲り、以後、松平氏の本拠は岡崎城におかれることになった。このように、山中城は松平氏の歴史上、重要な意義をもつ城であった。山頂の主郭、この郭は約3アールの広さをもち、山腹には帯状の曲輪が設けられている。北側と南側は急な斜面になっており、北側の山腹には谷間にむけて曲輪と連結した竪堀がみられる。また、尾根づたいに攻めてくる敵を防ぐための堀切も設けられている。室町時代の典型的な山城の様子を現在に伝えている。 『山中城跡案内板』より
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資料 |
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私見 |
見応えのあるお城を、と地元の方に連れていってもらったのがこの山中城でした。後北条の城として有名な山中城ではありません。三河にも山中城があるのですね。城の東側となる登城口には簡単な案内板が設置され、また登りやすそうな状態ではありますが、駐車スペースがありません。ここがちょっと残念ですね。 さて、登城道自体は歩きやすい平坦な道のりですのでスーツ姿の私でも(笑)、問題ありません。しばらく進んでいくと、左に大きくカーブしていき、その先あたりからいよいよ城域かなという印象を受けるようになります。左手に出丸のような郭があり、そして今度は右側に長い削平面が見えてきます。土塁を見上げるような格好で通りすぎると、その土塁横には竪堀が北の斜面に落ちています。この後でも感じたのですが、どうも北側に防御の意識が強く働いていたように見えました。そしてその先は細い尾根上に段差がついた郭面が続きます。三方を土塁で囲まれた馬出し状の郭も見えます。ワクワクしてきますね!勉強不足であまり詳しくなかったのですが、いい土の城じゃないですか。常に上部から狙われていることを感じながら、城の構造を把握しようとあちこち小走り状態で写真を撮りまくってしまいました。 そして主郭部です。ここは非常に大きな郭となっていますね。虎口はあまり複雑なものではありませんが、西側半分に土塁が巡らされており、そこから帯曲輪のように何段も重なり合ったような構造を持つのがよく分ります。西側から上がってきた場合も常にいろんな方向から狙われるのですね。素晴らしいです。山城好き、土の城ファンにはお奨めできるいいお城だと思います。しかもたいして汗をかかずに来られるのもポイントですよ。あとは縄張りがわかるように案内板につけてくださっていたらもっと素敵なんですが。あ、駐車場も(^^;。
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