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三戸城跡 登城日:(2003.06.29) 所在地: 三戸郡三戸町梅内 |
歴史 |
三戸城は馬淵川と熊原川との合流点に位置し、標高約130メートル、広さ約40万平方メートル(10万坪)築城年代は永禄年間(1558〜70)二十四代南部晴政時代である。 二十六代南部信直は、天正十八年(1590)小田原に参陣、その功により豊臣秀吉より南部七郡(糠部・岩手・紫波・稗貫・和賀・閉伊・鹿角)領有の公認を受け、これにより南部氏の近世の大名としての基礎は万全となった。 南方に領土が広がり、三戸の位置は領内中央でなくなり、慶長二年(1597)盛岡に築城、漸次移住、盛岡城だけを居城と定め、三戸城は御古城と呼ばれ、城代の統治と代わった。 『三戸城跡案内板』より
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資料 |
私見 |
三戸城は現在は古城公園として集落の奥まった、山頂部にちょっとした観光施設のようなたたずまいで残されています。だだっ広い駐車場と土産物を売る売店があるんですが、訪れる客が全然ないようで、すっかり寂れた状態になっているのが悲しさをそそります。(ここまでする必要があったのかなぁ?) 駐車場に車を停め、2分ほど歩いていきますと天守風の三層四階の資料館がありました。遺構はというと、駐車場にあがってくるまでの途中に石垣が見られたのと(隅石だけが綺麗に切り出された角ばった形状だったのにほかは大きさ、形状がばらばらなものでした。)、太鼓櫓があったとされる土塁、その他郭跡など。単純に遺構としてだけでもそこそこ見るものはありました。
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