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小浜城跡


登城日:(2005.05.03)
所在地: 小浜市城内1丁目、小浜神社
 

【歴史】 | 【資料】 | 【私見】

歴史
小浜城の石垣。  慶長六年(1601)京極高次が着工し、その忠高にいたる33年間に城の大半を造り、寛永十一(1634)酒井忠勝が藩主となり、寛永十五年三層の天守閣を築いた。
 城域は東西156間(284メートル)、南北145間(264メートル)総地坪数18,937坪(62,492メートル)外濠を除く。
 本丸 3,3130坪(10,329メートル)内堀3,755坪(12,391メートル)
 二の丸 藩主の家族の住宅屋敷 2、249坪(7,422メートル)
 三の丸 軍用食糧、兵器の倉庫 3,806坪(12,560メートル)
 北の丸 2,584坪(8,527メートル)
 西の丸 3,413坪(11,263メートル)
在りし日の小浜城  特色は、海と河川とを取合せた要害の海岸城で、平地城としては慶長初期であり古く、石垣の慶長積みは特色である。
 京極氏の後は寛永十一年から明治四年(1871)まで、酒井氏十五代260年間の居城であった。
 明治四年十二月この城に大阪鎮台第一分営を設置すべく改造工事中二の丸櫓の工事場から失火し、城の大部分を焼失した。現況は左図のように河川拡張のため旧城地がけずられて縮小され往昔の面影がない。

『小浜城跡案内板』より

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資料
 

私見
小浜城天守台から。  小浜城(別名を雲浜城)にやってきました。若狭でこれだけ見事に石垣が残っているのはないんじゃないでしょうか。城跡は北川と南川との間の中洲状地形にあり、周囲を民家が密集した状態の中にありました。また現在は小浜神社となっており、折しも今日はお城祭りをやっています。賑わいがあっていいのですが、なかなか写真がうまく撮れません(-_-;。
 大津城から小浜に入封(最初は後瀬山城)した京極高次が気づいた縄張りの上に、京極氏が松江に移った後に川越からやってきた老中酒井忠勝が築いた三層天守閣。今は天守台だけとなっていますが、そこからは周囲を見渡すこともでき、お祭りの雑踏も随分遠くのことのように感じます。
 小浜市のサイトを見ますと広く寄付金を募って小浜城を復元しようという動きがあるようですね。小浜神社の隅に置かれたかつての小浜城の姿にどれだけ近づけるようになるかわかりませんが、実現できるといいですね。でも・・・周囲の方には悪いですが、あまりにもお城に密集して民家が立ち並んでいるのでどいていただくことになるのでかなり大掛かりになりそうですねぇ(^^;
 そういえば、同市内に福井県立若狭歴史民俗資料館ではどなたかのお手製の小浜城天守閣が復元されていました。気になる方はどうぞ。
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