HOMEへ Check   Twitterでつぶやく  

高浜城跡


登城日:(2005.05.04)
所在地: 大飯郡高浜町事代
 

【歴史】 | 【資料】 | 【私見】

歴史
高浜城主郭跡 ◆濱見神社 由緒
 戦国の武将武略家であった逸見駿河守昌経公はその善政に於ける名声もまた近隣を圧していたと伝えられる。
 永禄八年(1565)この城山に高浜城を築き、佐伎神社の再建、各寺院の興隆につとめ、農漁業の振興をはかるなど、特に地子銭を永久免租された特例措置については明治維新まで継承されたといわれ、昭和初期まで、お盆には各戸が軒灯篭をして、その遺徳を偲んだのである。
 昭和五十六年逸見昌経公歿後四百年にあたり関係者有志によって領主の慰霊と顕彰の意を表する為この御社を建立した。

◆高浜城跡
 海を背にした城は全国的には珍しく、永禄八年(1565)戦国の武略家逸見昌経の築城と伝えられている。
 金閣寺を造営した、足利義満公もその頃、当地を訪れその景勝を賞でたといわれている。

『現地案内板』より

【戻る】

資料
 

私見
城跡からの眺めは最高です。  高浜城は国民宿舎「城山荘」に隣する岬上に作られており、城山公園としてもこのあたりは整備されています。また明鏡洞という名勝もあってここを訪れる人は多いようですね。
 城跡は城山荘の脇から登っていきますが、比高が低いのですぐに城域に到達できました。現在は通路として整備されたために城跡がかなりえぐられてしまった感がありますが、濱見神社のあたりが主郭です。遺構は期待できませんがここからの景色は期待以上です。
 逸見昌経が天正九年(1579)に没すると、高浜城には溝口秀勝が入城し、次いで天正十三年(1585)に山内一豊が配されるもすぐに長浜に移され、その後木下利房が入城するが関ヶ原の合戦で西軍に属したために改易(やがて足守で復家)と目まぐるしく移り変わっていった城主達もこの景色を愛でたことでしょうね。
【戻る】