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船田城跡


登城日:(2006.04.22)
所在地: 岐阜市水主町1丁目
 

【歴史】 | 【資料】 | 【私見】

歴史
船田城跡とされるあたりです。  船田城がいつ頃築城されたのかは不明だが、美濃国守護である土岐氏革手城の支城であり、石丸利光の居城であったことが知られている。
 時の守護土岐成頼は長子政房を廃し妾腹の末子元頼を跡継ぎにしようとして石丸利光と謀った。利光は守護代である斉藤利国を殺して謀を進めようとしたが、逆に利国に露見した。やがて利国の居城加納城と船田城との間で一触即発の事態となった。
 利光は正法寺に陣を構え戦ったが、尾張織田氏の支援を得た利国に敗北。船田城を焼いて近江六角氏を頼って逐電した。

『日本城郭体系9』新人物往来社刊参照

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資料
 

私見
船田城跡とされるあたりです。  船田城があったとされる場所は加納城よりも南へ4〜500メートル下り、国道157号線「茜部本郷1」信号を東へ入った水主町の集落一帯になります。城址碑や案内板はなさそうでしたので地元のおばあさんに声をかけてみました。”船”や”水主”など水に関する名称の通りこの辺りは隣接する新荒田川に縁深いところのようでした。名古屋城下にも同じく水主町というところがあり、そこと合同のイベントがあるということもうかがうことができました。今はかなり川の流れも変えられてしまっているとのことですが、加納城との関係もあったようです。(うまく聞き出せませんでした)
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