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苗木城

苗木城跡


登城日:(2007.05.03)
所在地: 中津川市苗木
 

【歴史】 | 【資料】 | 【私見】

歴史
巨大な岩をうまく取り込んだ苗木城本丸 ◆苗木城天守建物
 苗木城の天守は二つの巨岩のまたがる形で作られ、三層となっていました。
 1階部分の名称は「天守縁下」、板縁を入れて4mx5m(2間x2間半)の広さで、岩の南西側隅にありました。
 2階は「玉蔵」と呼ばれ、岩が敷地を占め、建物の床面自体の大きさは6mx6m(三間四方)でした。ここには1階と3階に通じる階段が設けられていました。
 3階の「天守」は巨岩の上にあり、9mx11m(4間半x5間半)の大きさでした。
 この巨岩の上の柱と梁組みは、苗木城天守3階部分の床面を復元(想定)したもので、岩の柱穴は既存のものを利用しました。
 苗木城天守3階部分を一部復元し、展望台として利用できます。
駐車場を少し歩いた先に木々に隠れた本丸が見えます。駆け出したい! 本丸西側に建物の礎石跡が並んでいます。  苗木城の築城時期については諸説ある。日本城郭体系によれば、遠山子爵家の記録に、恵那郡福岡町の広恵寺城に拠っていた一雲入道が初めて築城し、左近佐直廉を称するようになったとある。直廉は岩村城城主の遠山景友の次子であったが、やがて織田信長の妹を娶るようになった。
 元亀元年(1570)に直廉が死没すると、信長は飯羽間城主城右衛門佐友勝の子、久兵衛尉友忠に苗木城を継がせた。同三年に武田信玄が高遠城城主秋山晴友(信友)を美濃に侵入させると、遠山方は飯羽間城、岩村城が次々と落城、しかし苗木城は武田方の攻撃によく耐えた。
 天正十一年(1583)遠山友忠は秀吉方の兼山城城主森長可と戦った結果、苗木城を出奔し城を長可を渡すことになった。やがて苗木城は森忠政、川尻直次が領することとなったが、関ヶ原の合戦の折、直次の苗木城を攻めた友忠は城を奪取し、そのまま遠山氏が領有し明治に至った。

『苗木城跡案内板』、『日本城郭体系9』新人物往来社刊参照

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資料
 

私見
苗木城の大矢倉 苗木城の大矢倉  木曽川を見下ろす城山に建つ苗木城は車でかなり上までいけますのでほとんど平行移動で攻城できるいい(笑)城跡です。随所に石垣が見られる迫力は岩村城を見てきた後でも十分インパクトがありますね。
 大手を歩いていると木々にさえぎられてはいますが、本丸の巨石が見えてきます。やっぱりここは山上の巨大な岩を取り込んだ姿が絶妙ですね。その前に左に聳える大矢倉にも思わずシャッターを押しまくってしまいます。行ってみて初めて感じましたが苗木城は門跡がよく残ってますね。往時の様子が想像しやすくていいです(間違ってる可能性大ですけどね)。
 大門を過ぎるともう本丸は目の前です。巨大な岩の上に木組みが乗っかっているのは一瞬目を疑いましたよ、当時もこういう形だったのかと。右に目をやると居館跡を示す礎石が整然と並んでいます。そのままぐるりと本丸下を一周してみました。
 東側は薄暗くて(夕方近かったので)ちょっと崩れかかっている石垣が西側で見えていたイメージとかなり違うなと感じます。
苗木城の本丸石垣 苗木城の本丸石垣 苗木城本丸からの景色  ようやく本丸です。木が岩に食い込んでいるように見えますね。上にあがって大丈夫かと心配してしまいましたが、高所が苦手な人には堪らない場所です。こんなに高い場所にあがってきたのかと初めて気づきました。感動ですね・・・。
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