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諏訪城跡


登城日:(2007.05.04)
所在地: 下呂市萩原町萩原
 

【歴史】 | 【資料】 | 【私見】

歴史
神社となっている諏訪城跡  この城址は、豊臣家の武将金森長近が、天正十三年(1585)当時飛騨を支配していた三木氏を亡ぼして、飛騨国領主となった時高山に本城を築き、支城として、古川(吉城郡古川町)に増島城を、そしてこの地に三木氏の桜洞城(当町桜洞)を廃して、築いた諏訪城の城址である。
 この地にはすでに諏訪神社が祀られていたため、神社を当町上村の大覚寺東南山麓に遷して工事を行った。築城を担当した美濃国上有知(美濃市古城山)の城主佐藤六左エ門秀方は、工事材料に近在の仏堂をこわして利用したと伝えられ又、片目のヘビの話やこの地に梅が育たないといった伝説の主として、秀方のおこないが伝えられている。
堀跡もよく残っていますね  その後徳川時代、幕府の一国一城制によって増島城とともに元和五年(1619)廃城となり、金森家の旅館となった。元禄五年(1692)金森氏頼時の時、幕府は飛騨の地を幕府直轄地(天領)とし同八年(1695)高山城とともに、この旅館もとりこわされて、この約1100年にわたる歴史をとじた。そして再び地元民の懇願で、宝永五年(1709)諏訪神社を遷し現在にいたっている。
 本丸屋形、門その他の建造物のすべての遺構は不明であるが、城址の現状は、矢倉跡の石塁が東西南北の四ヶ所と、西中間に中間矢倉跡があり、kこのあたりに搦手道がある。水濠は、東方および南方半分カギ形に残り、大手正面西側に空堀が残っている。
 昭和四十一年、岐阜県史跡として再指定された。又、昭和四十八年、この石垣の補修工事を行った。

『諏訪城跡案内板』より

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資料
 

私見
石垣が修復されて綺麗に残っています。  諏訪城は、JR高山本線「飛騨萩原」駅正面をまっすぐに2分くらい歩いたところにあります。私はこの近くの宿をとりましたので朝駆けをしてみました。すぐにそれとわかる石垣がなんだか偽物のように見えるほど見事に石垣が残っていますね。これがかつての旅館だったんです(^^;、いや城跡ですね。
 城跡には石垣の外側に堀跡があり、石垣内側四隅には矢倉台跡を思わせる状態で残っています。ここまでよく残っている状態なのに、案内板が実に控えめに配置されているので、このあたりを訪れた方にはここが城跡だと認識することなく立ち去られてしまったのではないかと他人事ながら心配になります。このあとで訪れた増島城と通じるところが多く感じられ、なかなか興味深い城跡だと思いますよ。
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