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有安城跡
登城日:(2004.04.24)
所在地: 美嚢郡吉川町有安字平須
 

【歴史】 | 【資料】 | 【私見】

歴史
一の郭と小さな神社  有安城は、渡瀬城を本城とする渡瀬氏の支城であった。渡瀬氏については渡瀬城跡の項を参照していただくとして、当城はおそらく三木合戦の際に滅んだ渡瀬氏と運命を共にしたのではないだろうか、といわれている。
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資料
 

私見
二の郭との間にある堀切  渡瀬城跡のあるところから北へ街道越に見える丘陵上に、有安城はありました。城へは南側からと中国自動車道上の歩道橋をつかっての北側からの2通りの登城ルートがあります。以前は北側から挑戦しましたが竹やぶが密集していて断念したことがありました。
 今回は南側からの登城です。車ではなかなか近づけないので徒歩がいいでしょうね。この城は南北に郭が連なった形状をとっています。南にある神社が建つあたりが一の郭です。急なのぼり坂を2〜3分で到着しますのでかなり楽な登城ですね。が、そのお手軽さに反して遺構はなかなかのものです。郭がある周囲は切岸のような様相を見せておりかなり堅牢であることが確認できます。そして大きな堀切が二の郭との間に作られており、一旦降りてからまた登るといったアップダウンをさせられてニの郭へと渡るようになっています。
三の郭へ  そこから三の郭へと傾斜をのぼっていき、そしてその先にも堀切があり、最後に四の郭へと続いています。私は四の郭までは藪がひどくていきませんでしたが、それでも三の郭までの状態だけで大満足でした。
 ちょうど筍シーズンだからなのかわかりませんが、竹やぶも歩きやすくなっていましたし、ここは夏場でも安心していける山城ですね。私は地面から少し頭を出している筍にかなり惹かれつつ、あとにしたのでした。
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